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彼方へ - Go Beyond - 連載 Vol.8

エマージェンシースクリーンを取り付け、ボディ周りはガムテープで補修した。屋根にあるSONY製のGPSのアンテナは大丈夫だ。ドアは歪んでしまい、修復には限界がある。のろのろと、それは競技中の人間とは思えないほど悠長に、パンクした2本のタイヤを交換し、エンジンオイルを足した。

著 / 山 田 徹

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第二章 パリ・モスクワ・北京
其の三 大転倒

ラリーも早いもので既に七日目なのである、並みのラリーならもう終っているほどの時間だ。そして、これこそがラリーレイドだ。この長大な時間は、人間と機械に、さまざまな忍耐を強いる。そしていつも嫌がらせをする。それを避けて通る唯一の手段は、経験しかない。または臆病なほどの想像力があるかだ。

SSはサラトフの東にあるボクロフスクという町のはずれからスタートした。ピストはやっと農場の中からパリ・ダカールでいうところのグランドエルグに出てきた。とはいえ緑の草原のカザフステップのことだ、生命の危険を感じるパリ・ダカールのそれとは全く違う。しかし、我々の最初のアクシデントはここで起きた。

SS150Km地点にあるCP1を過ぎるとフランス人ドライバーのフージュルースという男の車が逆走してやって来た。
「危ないぞ、このヤロー」
「CPはどこだっ」
「知るかっ、いや待てよ、5キロ位後ろだったぞ」
と片言のフランス語で応えてやると、彼は諦めたようにUターンしてオンコースを走り始めた。はて、CPへは行かんのだろうか、不通過は2時間のペナルティだから、引き返しても十分におつりが来るのだが。
「サンキロメトレは発音が悪かったんかなあ?サンクキロなら5Kmなんだが、サンキロなら100Kmのことだからな。で、ほんとは3Kmくらいだからなあ」
「意地悪すよっ」
「これが言葉の壁だねえ。ヒャッヒャッヒャッ」
実はフージュルースとボクは仲が悪い。一九八八年の第十回パリ・ダカールで我々は彼のチームのカミオンにスペアパーツを預けたのだが、例のアフリカの一日目でリタイアしやがった。
「あいつは悪い奴だぜ」
「そんなの良くある話じゃないんすか」
「一日目だぞ。一日目。そのあとおまえエアクリーナーの1個もなかったんだぜ、どうしたと思うよ」
「どうしたんすか」
「・・・・・・・」
「グエーッ」
ギューン、ガッガッガッ、ドッカーン!グアッシャン!
転倒だ。グルグル回る車の中でボクはサーキットブレイカーに手を伸ばして、エンジンをカットした。
アクセルペダルの横に開けているエアインテークを逆流して、熱いエンジンオイルが自慢のアディダスのレーシングシューズに、飛び散った。
「アチ!アチ!ナンダコリャ」
「モー、早く出ますよっ」
シートベルトをはずしながら天と地がひっくり返った風景を眺めながら
「いやっフロントガラス割っちゃったなあ、どーしょう」
なんて考えていると
「おーい、大丈夫?だーれっ?」
と聞き慣れた横田紀一郎さんの声。
「アッ、イヤ、ヤマダデスッ」

3台も同じ色の車を走らせているので、にわかには誰なのか分からなかった横田さんは、這い出してくるボクを見ながら
「なんだ、イヤに落ち着いているなあ。で、どうして俺たちよか前走ってんだ?今朝何番でスタートしたのよっ。あ、いやそんなことより早く起こそ」
と、牽引ロープを素早く出してきて
「慣れているからさ」
と起こすやいなや、またすっ飛んでいってしまった。ありがとう!とも言うひまさえない。
「どーするんですっ、いったい」
またナビのお叱り、見ると片側のタイヤは2本ともパンクしている、フロントガラスは当然ぐしゃぐしゃだし、ドライバー側のドアは修復不能。
「こりゃションベンするときは、おまえが先に下りてもらわんといかんなぁ」
「まだこれで直して走ろうと思うんすか」
「ナンダおまえ、こんくらいのことでリタイアすんのか」
「エンジン逝ってますよっ」
「逝くか馬鹿っ」
「だって、エアクリーナーからこんなにエンジンオイルが吹き出してるんですよっ」
「そりゃあ、遠心分離の理屈だろうが」
「馬鹿じゃないすか」
「馬鹿バカって言うな」
「先に言ったのは自分でしょ」
「おまえなあ、俺のことを何だと思ってるんや」
「ただのバカでしょ」
「また馬鹿って言った」
「もー、早く直して行きますよ」
「行くって、いくのか」
「そーですよっ、このくらいでリタイアなんかできないでしょ」
「そーかー、そーかー、そーだよなあ。クーッ」
フージュルースの呪いは解けた。散乱した室内を片付け、噴き出した真っ黒なエンジンオイルをふき取り、噴射ノズルをはずし、エンジンをクランキングさせてみる。真っ黒なオイルが燃焼室から吹き出し、カーボンのボンネットの裏にどす黒い悪魔の顔のようなしみを作った。
「アチャーッ、これでうっかりエンジンかけていたら、一発オイルハンマーだなあ」
「そーすよっ」
「早くしろよっ」
「良くそんなことが言えますねえ」
「やっぱ、そう思うか」
「そーですよっ、ほんとに自分勝手なんだから」
「うう・・」

エマージェンシースクリーンを取り付け、ボディ周りはガムテープで補修した。屋根にあるSONY製のGPSのアンテナは大丈夫だ。ドアは歪んでしまい、修復には限界がある。のろのろと、それは競技中の人間とは思えないほど悠長に、パンクした2本のタイヤを交換し、エンジンオイルを足した。

「さあ、エンジンをかけてみるぞ」
「かかりますかね」
「かからん理由を探すほうが難しいぞ」
ガッガッガッと、スターターは独特の音を残し、グオーンとエンジンは甦った。しばらくアイドリングを聞いていると、カッカッカッと小さな金属音が聞こえる。
「叩いているのかな」
「さあ、そうじゃないすか」
「おまえ、冷たいなあ」
「そりゃそうすよ、SSん中でおしゃべりばっかしてて、挙句クラッシュ、自業自得すよ」
「よしっ、行くぞ」
走り始めると、スクリーンは風圧で室内側に大きくへこみ、水溜りを丁寧によけても泥水がかかり、ついには川渡りが出てくる始末。
「おいこれって役に立たんじゃないか」
「多分そうだろーと思ってたすよ」

今日はラリー七日目、あと二十日もある、これで走り続けることは絶対がつくほど不可能だ。何もナシの素通しで走るか?そこまでの根性はあるか?自問自答を繰り返しながら走る。
それにしても、この視界の悪さはストレスだ。夕陽に向かって西に向かうときには、全くといっていいほど進めない。それが皮肉なことに、東に向かうラリーのクセにこの日は、西に向かってゴールする。
「俺が主催するなら、朝は朝日を背にスタートして、夕方は夕日を背に走るようにする」
「なんすか、国際ラリーでも主催する気ですか」
「うん」
「ばっか、じゃないすか」
「なんでよ」
SSのゴールが近づくとさらに西陽で前に進めない。
「太陽が完全に沈むまで止まって待つしかないか」
と考えてると、ガッツーンと大きな音がして、ピスト脇のクラックにに右のフロントタイヤを落としてしまった。
「ついてないよなあ」
「足回りは大丈夫っすかねえ」
「多分大丈夫だと思うよ」
飛び降りてみると、それでも足回りはしたたかにヒットしている。しかしダメージを最小限に食い止めたのはその速度だったろう。
脱出するのに三十分。すっかり西陽は地平線の彼方に沈んだ。
西の空は、美しい朱色から濃紺への無段階のグラデーションが空気を震わせて荘厳だ。
「これが地球だ。これが夢にまで見たユーラシア大陸だ」
「エンジンの音おかしいですよっ」
「・・・・」

わざわざナビからそう言われなくとも、金属音は大きくなっている事に気が付いていた。
「やっぱりダメなのか」
まだあと二十日。気の遠くなるような時間と距離が残っている。なんとしてでもマシンをもたせ走りきりたい、いや走りきらなければならない。しかし実のところはスペアパーツ、特にスペアタイヤの消耗がひどいのだ。
ここはリタイアして上位で頑張る2台にパーツを温存すべきじゃないのか。だいいち、これからのルートをフロントガラスなしで、いつ死ぬか分からないエンジンを、だましながら走ることができるのだろうか。

気分は複雑で、判断は正確さを欠いているような気がした。ただひとりのドライバーとしての思いと、合理的な決断を求められるチーム内の唯一の人間としての、心とロジックのギャップを埋めるのは困難だ。それから逃げることもできない。なにせ生還すら厳しい大荒野の果てだ。
遠くにSSのフィニッシュを知らせる回転灯の明かりが、汚れてぼろぼろになったエマージェンシースクリーン越しに、ぼやけて見える。
わけもわからず涙が出る。
「俺ってなにやっているんだ。こんな地の果てで。人生を賭けて」
ぼそりとつぶやいた。
「えっ、なんか言ったすか」
「いや、なんでもないよ」
真っ黒なエンジンオイルを頭からかぶっているので、二人ともひどい顔だった。
ナビに少しだけ申し訳ない気がした。SSのフィニッシュからビバークまでは、ほんのわずかだ。
ミツビシとシトロエンのワークスはすでに不夜城の体制を敷いている。ささやかだが、それでも燦然と輝く3台体制のわがチームは、ビバークのはずれで、2台が並んでボンネットを開いて作業をしていた。状況は無線で知らせてある。
2台の横にボロボロになったマシンを停めた。一瞥をくれるだけで、彼らは何も口を開かない。こういう時、こういう事に関しては、ほんとうに不器用な男達だ。
疑心を起こさせるほどの知らん顔ぶりなのである。
「いやー、たいへんでしたねえ」
とか
「よく帰ってこられましたねえ」
とか、言って欲しいのに。彼らが本当に「3台そろって完走しよう!」と考えているのだろうか。序盤戦を、わけもわからないほど飛ばしまくって、少ないタイヤを消耗させ、最後までどうやって3台を完走させようと考えているのだろうか。いや、考えていまい。自分たちの戦いに全身全霊を捧げているのだ。それならば、それでいい。とやかく言うことは無い。
遠くに止まっているサービスを依頼しているトヨタフランスのカミオンまで、とぼとぼと歩いていった。それぞれのマシンには3本ずつのスペアタイヤを積んでいて、ボクはこれまで1度もパンクしなかったのだが、今日の転倒で、同時に2本をだめにしてしまった。少なくともカミオンにはボクの分の2本は残っているはずだ。
予算の関係でチームとしては6本しか預けられなかった。1台に2本の配分である。
つまり、4本のタイヤを履き、荷室に3本、カミオンに2本の計9本が1台あたりに割り振られた本数なのである。厳しいといえば厳しい。しかしわれわれプライベーターは、それで戦わなければならない。バジェットからだけではなく、それはあまりにも当然の話だ。
「やあパトリック、うちのスペアタイヤを2本下ろしてくれないか」
「ノン」
「ノンだあ」
「もうおまえところのスペアタイヤは無い」
「なんだって、6本積んでいるじゃないか」
「129と130がもう3本ずつ使って、ほらバーストしたやつならこんなにあるぜ」
彼が指差すカミオンのタイヤラックには、間違いなくわれわれのチームの、頑強で美しい白いC4HARTに組まれたラリータイヤが、そのどれもがサイドをカットして、修復不能な状態で積み込まれていた。
「その状態で積んでいて何かいいことあんのか」
「ホイールが使えるだろ」
「かもね、でいったいどーするつもりだろうねえ、うちの連中」
「それを聞きたいのは俺のほうだぜ、おまえたちはイタリアのバカどもと、ちっとも変わらないじゃないか。熱くならずに、もっと考えて走れないのか」
「その話は、ラリーのたびに聞いているよ」
軽口のバカ話をするのはいいのだが、胸には黒い不安が湧いてくる。
1号車に生きているスペアタイヤは1本、2号車、3号車にはそれぞれスペアタイヤが生きていないのか。それにしても事態は深刻だ。2台のマシンの後ろから荷室にあるスペアタイヤをのぞいてみた。
「ダメだ」

どちらのマシンも生きているスペアタイヤは無い。あとはかろうじてチューブ交換をすれば最悪は何とかなるという状態らしい。
ここは真剣にどうするのか手をうたなければ。1台をリタイアさせるのも方法かもしれない。
いやまてよ、休息日のビシケックにはパーツボックスを送ってある。タイヤをボックスの中に入れておいた。しかしそのビシケックまでも、もたないだろう。
われわれはボディ周りの修復を終わらせたあと、タイヤの修理に取り掛かった。それぞれに何とか2本ずつのスペアタイヤを積まなければいけない。そうでなければ、とても危険だ。パンクなんて全然しない日もあれば、一度に2本、3本と立て続けにすることもある。
運を天にまかせて、このあとのラリーをスタートさせるわけには行かない。本当にビバークまで帰って来られないし、リタイアの理由がパンクでは見苦しい。
「ほんとうにタイヤは手に入らないだろうか」
ビバークを歩いて、各チームの様子を観察してみることにした。T3-2つまりわれわれと同じクラスで、このクラスの優勝候補フランス・トヨタのエース、ヴァンヴエルグがマシントラブルでリタイアしていた。こういうラリーは全くの序盤に思わぬリタイアが続出するのである。その多くは準備不足にもってきていきなりはじまる序盤のタイトなスケジュールが、マシンを攻め立てるのだ。
ミツビシで走る日本人ジャーナリストらの姿は、ポーランドで追い越して以来、見ていない。
彼らのタイヤは無いだろうか?と考えた。しかし、どうやらタイヤは手に入る状況にはないようだった。
「また明日探すしかないか」
しかし思いがけないものを手に入れた。透明のアクリル板だ。
日本人のイスズ・チームが彼らのマシンの天井に、うまく取り付けていたものをわざわざ外してくれた。ありがたい、これでエマージェンシースクリーンとはおさらばだ。

ラリーは中盤域カスピ海の東岸に広がるウスチウルト台地に、舞台はかわった。
ここで、三日間、トルクメニスタンのネビット・ダグまで、予想もしなかったほどのハードな日々が始まったのだ。


次回「ウスチウルト台地の脅威」に続く


目次

第一章 パリ・ダカールの時代
 一九九一年八月、ソ連崩壊
 一九九一年一月、パリ・ダカール
 一九九一年十二月パリ
 密林の死闘
 キンシャサの奇跡とアンゴラの奇跡

第二章 パリ・モスクワ・北京 
 湧き上がる闘志
 世紀のラリー、スタート
 大転倒
 ウスチウルト台地の脅威
 この日がボクの人生を分けたかもしれない問題の九月十四日
 最後の国、中国
 凱旋の天安門広場

第三章 モンゴルへ 
 第一回モンゴル訪問
 第一次試走
 リスクマネジメント
 永山竜叶死す
 ルートブック
 それはスピリット・オブ・セントルイス
 ついにスタート、第一回日石ラリーレイドモンゴル一九九五
 エタップ1
 パニック
 重大事故、起きる
 緊急ブリーフィング

第四章 ラリーを主催するということ
 緊急手術
 マンダルゴビ
 天空の町ツェツェルレグで
凱旋のウランバートル

第五章 パリ・ダカール一九九八
 ふたたびベルサイユ宮殿
 一日目リタイア

第六章 最終章
 シベリア強制収容所
 最後のラリーレイドモンゴル、はじまる
 RRM二〇〇二 熱波の中の試走
 エタップ1
 ゼッケン♯30
 緊急移送
 ゾーモットへ
 未着/遭難
 捜索/ウランバートル対策本部
 捜索難航ス/発見
 3速
 GPSの軌跡は語る
 地図上の旅
 ふたたび大陸へ
 どうして困難にばかり挑戦するのか


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