見出し画像

エンデューロ日記 No.48 - 「無冠の帝王から真の勇者へ」

これは、ミカ・アオラ - Mika Ahola というフィンランド出身のエンデューロライダーのことを書いたものです。彼は、長く、エンデューロ世界選手権と、インターナショナルシックスデイズエンデューロで活躍し、2012年1月に、練習中の負傷が原因でこの世を去りました。

文中にありますが、長く無冠の帝王と呼ばれながら、ライダーとして普通はピークを過ぎたといわれる年齢になってから、なんと5年連続で世界タイトルを獲得するに至ります。

真摯にこのスポーツに取り組む姿勢。無冠の帝王と言われながら決してあきらめることがなかった勇気。彼を尊敬する人は今も多く、FIMエンデューロ世界選手権には、彼の名を冠した特別賞も設けられているほどです。

ミカ・アオラは、Honda Racingで5年連続でタイトルを獲得したのち、いったん引退を表明しました。事故はその直後に起きています。すでにイタリアのHondaチームとの契約か終了し、違うメーカーのマシンをテストしていた時に事故は起きました。

引退の言葉

 「21年間の競技生活を経て37歳という年齢になり、私は熟慮の結果、エンデューロコンペティションから引退することを決意しました。理由は、私がすでに競技の結果に対して充分な野心(ambition)を持っていないということです。私は最初にフィンランドで勝利を得て、世界最速の雪のライダーになりました。その後、世界選手権に参加するようになり、5回のワールドタイトルを獲得しますが、それはすでに引退を考えなければならない年齢になってからのことでした。それはとてもハードな日々でした。連続して5回のタイトルを獲得しますが、その最期のタイトルは、世界で最も高齢でのタイトル獲得という記録です。
 これらの記録にはとても満足しています。またフィンランドの代表として7回参加したISDE=インターナショナルシックスデイズエンデューロでは、3度のオーバーオールウィンを獲得することもできました。FIMは2004年以降は、オーバーオールクラスを廃止しましたが、すべてそれ以前の記録です。
 私は、エンデューロというスポーツに持ちえる野心を完全に満足させることができました。そして私は、次の段階に進み、レーシングではない何かを発見したいと思っています。最後に、私と私の競技生活を支えてくれたすべての人たちに感謝を伝えたいと思います。同時に、私と戦ってきたライダーたちにも感謝を表したいと思います。 ミカ・アオラ」

栄光への長い道程

 Emperor without a crown (無冠の帝王)、それがミカ・アオラの長く苦しいワールドエンデューロにおけるキャリアを象徴するニックネームだ。フィンランド出身のライダーは、イタリアのtmレーシングに加入した1997年に、早くも125ccクラスでランキング2位まで上り詰めた。1999年ISDEポルトガル大会ではオーバーオールウィン、そして2001年、2002年も続けてシックスデイズのオーバーオールクラスを制覇していくのだが、肝心の世界選手権では、2位、3位というランキングが積み重なっていく。2001年からは、ヴェルティマティの怪物マシンをベースとした市販モデル、VORのファクトリーチームに移籍。最大排気量クラスを戦うことになった。
 ハイパワーだが暴れ馬のようなマシンにムチを入れてスペシャルテストを攻めるアオラは、Husqvarnaのアンダース・エリクソンと互角の戦いを演じ、ポイントでリードして最終戦を迎えた。スペシャルテストは得意のサンド路面で、アオラに有利と見られていたが、ここで痛恨のスタック。そのタイムロスが響いてタイトルはエリクソンのものになった。その差わずか1ポイント。3位のカールソン(フサベル)には40ポイントという大差をつけていた。

ここから先は

1,683字
1998年に創刊。世界のエンデューロ、ラリーのマニアックな情報をお届けしています。

BIGTANKマガジンは、年6回、偶数月に発行されるエンデューロとラリーの専門誌(印刷されたもの)です。このnoteでは、新号から主要な記…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?