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暮らしの主導権を握れ

突然ですが、風邪をひきました。

それもそのはず。近頃は、生活がぐちゃぐちゃでした。部屋は散らかり、心はぼろぼろで、やりたいことすらままならない。常に自分を見失いがちでした。そんなとき、風邪かも?思っても、きちんと対処もせず、見過ごしてしまうものです。あ、だるいかも?熱あるかも?これやばいかも!と思った時には、結構酷くなっていました。

体や心を正常に作動させることが、夢や目標に向かっていくためには必要です。それはきっと、大きな夢や目標がなくても、同じです。暮らしを整えることは、もろもろの事柄がスムーズに回っていくように、システムを整えるようなものです。

なので、その暮らしぶりが良いものかどうかというのは、外から見た良し悪しではありません。大事なのは、その人に合っているか、その人が望んでそうしているかどうか、という部分です。

わたしはどちらかといえば、ダラダラしたいほうです。ハキハキと生きるのはあまり合いません。ただし、現状のだらしなさが理想かというと、NOです。
わたしがダラダラしたいのは、不必要なストレスに振り回されたくないからです。生活のすべてがぐちゃぐちゃで、挙句の果てに風邪をひいている…ストレスがストレスを生むこんな状態では、本末転倒です。

「満腹で眠いからフライパンは朝洗えばいいや」とか「どうせすぐ着るから洗濯物は畳まなくていいや」とか、なりゆきで決めてしまうことが多い、そんなこの頃でした。ストレスフリーというよりも、だらしなさにすべてをゆだねている状態。自分で書いていても恥ずかしい。そりゃ、だめになるよ…。
洗い物にしろなんにしろ、自分でどうするか決めておくことが先手、かもしれません。

はあちゅうさんの著書「半径5メートルの野望」にも、こんなエピソードがありました。

以前勤めていた会社に、ものすごく忙しくて、誰よりも早く来て誰よりも遅く帰るという、会社に住んでいるかのように働いている先輩がいたのですが、その人は、突然、「朝型の生活をする」と宣言し、自分で決めた時間ぴったりに帰っていくようになりました。(中略)できるかどうかを先に考えるのではなく、自分の意志の「やるかどうか」を優先させることで、人生の主導権が、「見えない誰か」から「見える自分」に移るのだと学びました。
(はあちゅう著「半径5メートルの野望 完全版」講談社文庫 / Kindleの位置No.492~)

自分の生活を操縦する人は、見えない誰かでも、惰性でもなく、自分です。なりゆきや、その他諸々に主導権を渡さない。見えないものではなく、自分の意志でもって決めて、主導権を握っていきたいものです。

繰り返しますが、暮らしを整えることは、自分のことをうまく回すための、システムを整えるようなことです。自分がぼろぼろでは、できることもできません。

そんなことを、散らかった部屋の隅でぼんやりと思う、風邪の日でした。あたたかいゆず茶がおいしくて幸せです。今から、たわわに実った部屋干しの洗濯物を収穫して、部屋を片付けます。そして、風邪を治します。


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