夏野菜の揚げびたしと、いらちな彼女
東京駅には、主に3つの玄関口がある。
100年余り前の東京駅を再現した赤レンガの「丸の内」
ガラス張りのビルが並び、地下街には多くの飲食店が軒を連ねる「八重洲」
そして、一番地味なのが「日本橋」である。
東京駅の日本橋口は、地下鉄の改札口や高速バスの降車場の近くにある。入口を入ると、券売所も改札もあるが、ここから乗れるのは東海道新幹線のみ。他の改札口とは違い、JRの他路線に乗り換えができないため、3つの玄関口の中では最も乗降客数が少ない。
「いつもの日本橋口で。今、向かってる」
待ち合わせ時間の少し前、メッセージが届いた。金曜日の夜に彼女と待ち合わせをするのは、何回目だろう。
IT企業の大阪支社に勤務する彼女は、時々、東京・日本橋にある本社に出張して来る。生粋の大阪人だから、金曜日に出張が終わっても「大阪がええねん」といって、東京に滞在することはない。その代わり、といっては何だが、東京在住の私が彼女と一緒に新幹線で大阪へ行き、週末は関西方面を案内してもらっている。
「お待たせ~。帰り間際に上司に捕まりそうになってん。おそなってごめんね。ほな、買い物行こか」
「大丈夫。全然待ってないよ」
大阪の人は、せっかちだ。大阪ではせっかちのことを「いらち」というのだと、以前教えてもらったことがある。いらちな彼女は、自分が待つことは大嫌いだし、人を待たせることもまた、イヤなのであった。
私たちは、駅直結のデパートに向かって歩き始めた。東京のビジネスマンも歩くのが速いと私は思っているが、大阪の人はそれ以上に速い。キャリーバッグを引いているのに、彼女は人混みの中をスイスイと歩いていく。目指すは「デパ地下」だ。
「いや~。相変わらず、どれもおいしそうやなぁ。何にする?」
「何にするって、いつものお惣菜でしょ」
「アハハ。やっぱり、わかるぅ?アタシ、濃い~味が好きじゃないねん」
「濃い味」のことを「濃い~味」と伸ばすのも、西日本の話し方だ。私は彼女の後に付いて、和食のお惣菜売り場に向かった。
「う~ん…。何にしよ~」
「夏野菜は?暑い時は、お野菜でビタミン取らなきゃ」
「せやな。そうしよう!」
量り売りのお惣菜の中から、「夏野菜の揚げびたし」と「冬瓜のえびあんかけ」を選び、それぞれをパック詰めしてもらう。時計を見ると、新幹線の発車時刻が迫っていた。
「あかん!急がな!」
再び速足で歩き出す彼女。私は、店員さんからお惣菜が入った袋をあわてて受け取ると、彼女を追いかけて小走りになった。
「よかった~!セーフ!」
私たちが座席に着くと間もなく、発車ベルが鳴り始めた。「プシューッ」と音がして、扉が閉まる。新幹線が動き出すのとほぼ同時に、私たちも「プシュッ」と短い音を立てた。ホームの売店で買った缶ビールである。
「今週も、お疲れさまでした~!」
「お疲れさま~!」
先ほど買ったばかりのお惣菜のパックを開ける。「夏野菜の揚げびたし」には、ナス、オクラ、カボチャ、ズッキーニ、パプリカと、色とりどりの野菜が入っていた。
「ねぇ、夏野菜って、英語でなんていうの?」
「ん?夏野菜?さぁ?そういえば、なんていうんやろ?仕事では、食べ物の話なんてほとんどしないからなぁ…」
彼女は、職場では8割くらい英語で話している、と言っていた。しかし、食べ物のこととなると、仕事で使う単語とは全然違うらしい。私はスマホを取り出して、早速ググった。
「夏野菜は…サマー ベジタブルズ(summer vegetables)だって」
「サマーベジタブル?!なんや、そのままやなぁ」
彼女の言葉を聞きながら、私は箸で紫色のナスをつまみ、パクリと口の中へ。柔らかいナスの果肉が、ダシのうまみをたっぷり吸っている。
「でね、夏野菜の揚げびたしは…ディープフライド サマー ベジタブルズ イン ダシ ブロス(Deep-fried summer vegetables in Dashi broth)」
「ダシ ブロス?」
「そうそう。これは私、前に調べたことがあるんだけど、ダシのことをブロスっていうらしいよ。ブロスをもとにしてスープを作る、みたいな感じ」
「へぇ~。知らんかったわ~。外国人と国際結婚するんやったら、必須の英語やね」
「国際結婚?するの?」
「いや~。ようせぇへんわ。英語は仕事だけで十分や。できれば大阪弁だけの生活がええねん!」
彼女はそう言うと、ゲラゲラ笑った。アハハでも、ウフフでもなく、ゲラゲラと笑っていた。まだ新幹線は東京駅を出たばかりなのに、彼女の心はすでに、大阪に戻っているみたいだった。
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