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ハモの白焼きと、彼女の告白

「プシューッ」という音とともに新幹線のドアが開くと、大阪の空気はムッとしていた。特に、その日の新大阪駅のホームは、気温も湿度も高く、まるで亜熱帯のように思えた。

「やっぱり、大阪は暑いなぁ」

「大阪も、でしょ。東京も暑かったじゃん」

「せやな~」と言いながら、彼女はすでに速足で歩き出していた。金曜日の夜、東京出張の仕事を終えた大阪人の友人と、東京駅で待ち合わせた私は、彼女と一緒に新幹線に乗り、大阪へやってきた。彼女の出張のタイミングが合う度に、私は週末を大阪や京都で過ごしている。

「もう、何回目?大阪、慣れたやろ?」

「う~ん、まだ慣れないけど、新幹線の改札から地下鉄の改札までの道は、覚えたよ」

新大阪駅は、東京駅ほどではないが、駅ナカが充実している。新幹線の改札口を出て、エスカレーターで階下へ下りると、お土産店や飲食店が並ぶ通りがある。そこを抜けると、地下鉄「御堂筋線」の改札口だ。御堂筋線の路線の色が赤なので、私はいつも東京の地下鉄「丸ノ内線」をイメージしている。

「今回も、江坂のホテル?」

「そうそう。すっかり定宿やね」

私が大阪に来るとき、彼女はいつもホテルを予約してくれる。彼女自身は、大阪市内にある会社の寮に住んでいるから、ホテルに泊まる必要はないのだが、「どうせ夜中まで一緒に飲むんやから」と、私と一緒にホテルに泊まるのだ。

彼女が「定宿」と言ったホテルは、御堂筋線で新大阪駅から2駅先にある「江坂」という駅にある。新大阪は高いビルが建ち並ぶビジネス街だが、そこから近い江坂は、駅を降りるとパチンコ店やスーパーなどが並ぶ、生活の匂いがする街である。

「ホテルに行く前に、ちょっと飲むやろ?」

「うん!この時期だから、ハモが食べたいなぁ」

夏の関西といえば、ハモである。最近では、東京でも食べられるようになったが、せっかく関西に来ているのだから、本場で食べたい。

「おいしい居酒屋があんねん」という彼女は、相変わらずスタスタと速足で進む。私はいつも彼女に案内してもらっているから、正直、どこをどう歩いているのか、全くわかっていない。

しばらく歩くと、雑居ビルの1階にある居酒屋に着いた。雑居ビルにあるのに、入り口の扉は古い木製で、自動ドアではない。彼女は、ガラガラと音を立てて、扉を開けた。店内には、年季の入ったカウンター席とテーブル席があり、私たちはテーブル席に案内された。

「どうする~?いきなりハモと日本酒でもええ?」

「うん。さっき、新幹線でビール飲んで来たしね」

店に到着した時点で、すでに午後10時半を回っていた。ピークをとっくに過ぎた時間だからだろう、金曜日だが、客はまばらだった。私たちは「ハモの白焼き」と日本酒1合を注文した。

「ハモって、京料理で扱われるようになってから、夏の魚として広まったらしいねんけどな。なんでハモなんか、知ってる?」

「そういえば、知らないなぁ」

「ハモのこと、英語ではシー イール(sea eel)っていうねん。イールって、うなぎのことやから、ハモは海のうなぎ。ハモはすごく生命力が強いから、夏でも生きたままで、大阪湾とかから京都まで運べたらしいねん。まだ冷蔵の技術が発達する、はるか昔でもな。それで、夏に京料理で使われるようになったんやて」

「へぇ~!そんなの、知らなかった!」

「ま、アタシもこの話、元カレからの受け売りやけど」

彼女はサラッと「元カレ」と言ったが、私は聞き逃さなかった。どんな人だったのかと聞いてみたかったが、ちょうどその時、「ハモの白焼き」が運ばれてきた。

「ハモの白焼きは、アンシーズンド グリルド シー イール(unseasoned grilled sea eel)っていうねんて」

「あ、ハモは英語で覚えてるんだね」

IT企業勤務の彼女は、仕事のほとんどを英語でこなしているらしいが、「食べ物に関する英語はようわからへん」と以前、言っていたことがある。

「せやねん。ハモだけは、特別」

そう言うと彼女は、ハモの白焼きに少しだけワサビを乗せ、軽く醤油につけてほおばった。私も彼女に続いて、焼きたてのハモをほおばった。香ばしく焼き上がった香りと食感を楽しみながら、日本酒をちびり。

「う~ん!おいしい!さすがだね」

「せやろ。この店、何を食べてもおいしいねん。教えておいてもらって、よかったわ」

「教えてもらったの?誰から?」

「ん?元カレ。アタシ、去年の夏、不倫しててん」

「え?不倫?」

聞き返した私の言葉が、彼女の耳に届いたのかどうかはわからない。彼女は、黙々とハモを食べ、日本酒を飲んでいた。


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