見出し画像

「つくる」ということ。

8月に入ってから、私の仕事、どういうわけか全然…です。7月はあんなに忙しかったのに、8月のスケジュールがガラ空き状態なので、普段は仕事に追われていてできないことをやろうと考えました。

それは、自分のオリジナルコンテンツに磨きをかけること。

でも、どんな風に磨きをかけるのか、急には思いつかないので、とりあえずランチ。一般の方々のランチタイムにあたる12時~13時を避けて…と思いましたが、お腹がグーっと鳴ってしまったので、12時50分ごろにカフェ兼レストランへ。

店内には、まだサラリーマンやOLさんたちがたくさんいて、みんな仕事の話をしたり、スマホを眺めたりしています。

13時が近づくと、みんな、忙しそうにそそくさと店を出て行きました。

少し空席が目立つようになった店内を眺めていたら、私の注文したフライドチキンが運ばれてきました。

フーフー、ハフハフ…。外はサクサク、中はジューシー。う~!熱すぎるくらい熱くて、おいしい。

で、食べながら思ったことがあります。そうか。私は「おいしい」ってことにお金を払ってるんだな。

料理でも、洋服でも、何かの道具でも、音楽でも、映像でも、文章でも、誰かがつくったものにお金を払う。それは、おいしいとか、うれしいとか、便利とか、楽しいとか、ドキドキするとか、おもしろいとか、考えさせられるとか、誰かがつくったものから、そういう自分の感情を引き出してもらっていることに対する、対価なのかもしれない。

そう思ったら、「つくる」ってことは、やっぱり簡単なことじゃないんだな。だから、つくる側の人は多くなくて、それを受け取る側の人の方が圧倒的に多いんだな、と思いました。

よくいわれることですが、「感動」というのは、感情が動くと書きます。映画のように「感動の嵐」というわけにはいきませんが、誰かの感情を少しでも動かせるオリジナルコンテンツを生み出していけたら。とりあえずは、そんなことを考えました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?