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鼻をほじるおじさんと、無意識の行動について

そのおじさんは、鼻をほじっていました。

正確にいうと、自分の鼻の穴をほじっていました。右手の人差し指で。小指じゃなくて、人差し指で。そして、左手にはスマホを持って、時々、親指で画面をスクロールさせながら、何かを熱心に見てたんです。

それを、私は偶然、見てしまったんです。いや、見続けてしまった。偶然にも。

その日、私は渋谷から井の頭線に乗って、とある駅へ向かっていました。9月なのに、もうすでに陽は落ちているのに、渋谷はものすごく熱くて、私は「早くクーラーの効いた電車に乗ってしまいたい!」と思ってました。

井の頭線の渋谷駅は、始発駅です。改札口を抜けて、駅のホームに行くと、すでに電車は停まっていて、出発を待つ人たちが座席に座って待ってました。もう、座れる座席は残りわずか。私の目は、空席を見つけることに必死でした。

「あった!座れた!」なんとか、1席だけ空席を見つけたので、他の人が座ってしまわないうちに、サッサと座りました。それまでは、空席を見つけることに必死だったので、周囲の人がどんな人だったのか、見ていませんでした。

そして、ふと顔を上げた時、見てしまったんです。

おじさんが、鼻をほじっているところを。

おじさん、といっても、おそらく年齢は40代くらいだと思います。髪は短くて、メガネをかけていて、白っぽいポロシャツに、ベージュっぽいチノパン。さわやかなスポーツマンが、そのまま年齢を重ねたような、なかなか好印象のおじさんでした。

だから、余計に記憶に残っているんです。鼻をほじっている姿が。

私、見てはいけないものを見てしまった、と思いました。

実は、私がふと顔を上げた時、ほんの一瞬ですが、目が合ったんです、そのおじさんと。だけど、おじさんは鼻をほじるのをやめなかった。

私と目が合ったわけですから、左手のスマホを見るのを一瞬だけやめていたんですけど、鼻はほじり続けていました。そして、私と目が合った後、再びスマホに目を落として、何かを熱心に見ていました。

鼻をほじりながら。右手の人差し指で。

ああ、このおじさんは、きっと、家でもこうして鼻をほじっているんだろうな、と思いました。

40代で、スポーツマンタイプの、さわやかなおじさん。家族は、おしゃれな妻と、子どもが2人。子どもたちはもう高校生だから、あまり家には寄り付かない。

おじさんは家に帰ると、シャワーを浴びて、短パンとTシャツに着替える。決してステテコとかパジャマではなくて、短パンとTシャツ。

リビングのソファに座ると、妻がキッチンから「ビール、飲むでしょう?」と声をかける。「うん、飲む」と言いながら、なんとなくテレビを眺めるおじさん。

キッチンから、妻が冷えた缶ビールと冷えたビールグラスを持ってくる。そう、彼の妻はデキる人なので、缶ビールをそのまま出したりはしない。ちょっと背の高い、脚のついたビアグラスを、きちんと冷やしてある。

「プシュッ」缶ビールを開けて、ビアグラスに注ぐ妻。

トクトクトク、シュワ―。トクトクトク、シュワ―。

二度にわけて注ぐことで、真っ白な泡と黄金色の液体の割合が、ちょうど2:8になる。

「はい、今日もおつかれさま」「お、ありがと」夫婦の短い会話とともに、差し出されるビアグラス。それを受け取って、おいしそうにビールを飲むおじさん。

「プハァ~」と、ここまではいいのだが、問題は、この後である。

妻がキッチンに戻ると、再びなんとなく、テレビを眺めはじめるおじさん。左手でビールのグラスを持つ。そして右手は、右手の人差し指は、彼の鼻の穴の中へ。

妻が、軽いおつまみを作って、リビングに持ってくる。トレイに乗せた箸と箸置きを夫の前にセットして、おつまみが盛り付けられたお皿を置いた途端に、こう言うのだ。

「ちょっとアナタ、その、鼻をほじるクセ、なんとかならない?」

「あ、ああ、ごめんごめん」と言いながら、おじさんは、妻が作ったおいしそうなおつまみを食べるべく、右手で箸をとる。

鼻をほじった右手で。

と、こんな妄想をしていたら、私が降りる駅が近づいてきました。おじさんはまだ、スマホを熱心に見ています。

右手の人差し指で、鼻をほじりながら。

あのおじさん、自分の鼻クソをどこに拭いたんだろう…。ハンカチとか、ティッシュとか、持っているようには見えなかったな。


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