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いぶりがっこと、酸っぱいピクルス

「今日は、いぶりがっこをお願いしま~す」

週末のある日、なじみの居酒屋に行った私は、カウンターの向こうで料理をしている店主に言った。

「いぶりがっこ?びんこがいぶりがっこ頼むなんて、珍しいな」

「今日はさ~、他でちょっと飲んできちゃったから、なんかこう、塩辛いものでちびちび飲みたいのよね」

「なるほどね~。ちょっと待ってて」

「いぶりがっこ」は、燻した大根を米ぬかに漬け込んだ、秋田の漬物だ。「がっこ」というのは、秋田の方言で漬物を意味する。

店主がいぶりがっこを用意する間、スタッフにおすすめの日本酒を持ってきてもらった。普段の私なら、この店では飲みやすいサラッとしたお酒を頼むのだが、いぶりがっこをおつまみにするから、しっかりめのお酒をセレクトしてもらう。

「いぶりがっこ、って秋田の漬物ですよね?東北の人って、ホントに漬物が好きですよね」

そう話しかけてきたのは、ちょっとふくよかな体形の、IT企業に勤める常連さんである。彼は東京出身で、私は秋田の隣県、山形出身なのである。

「そうそう。東北人にとって、漬物はご飯のおともであり、お酒のおともであり、お茶のおともでもあるのですよ」

ちょうどその時、「いぶりがっこ」が運ばれてきた。薄くスライスされたいぶりがっこは、燻された外側の部分が深い茶色、中心部分は薄い黄色かベージュのような色をしている。箸でつまんで口へ運び、「パリッ」と噛む。独特の燻製の香りと、米ぬかの甘みが広がる。その味を楽しみつつ、日本酒をちびちび。

「あ~!んまい!この味がねぇ、ご飯にも、お茶にも合うんですよ~」私がしみじみそう言うと、常連さんはこう言った。

「そういえば、英語で漬物のことをピクルス(pickles)っていうんですけど、ピクルスはご飯やお茶には合わないですねぇ」

「どんな漬物でも、ピクルスっていうんですか?じゃ、いぶりがっこは?」

「いぶりがっこは スモークド ジャパニーズ ラディッシュ ピクルス(Smoked Japanese radish Pickles)で通じると思います」

「やっぱり、ピクルスなんですね。ピクルスって聞くと、ハンバーガーの中に入ってる、酸っぱいキュウリの味を思い出しますね」

「そうですよね。英語では、どんな漬物もピクルスっていうんですけど、ほとんどがお酢やハーブを使ってますね。酸っぱいキュウリもそうですし、ドイツのザワークラウトもキャベツの漬物ですし」

「あ、たしかに。ザワークラウトも酸っぱいですね。あと、ワインバルなんかに行くと、ニンジンやセロリなんかを漬け込んだピクルスありますもんね。あれも酸っぱい。私、あのピクルスで白ワインを飲むのが好きなんです」

「あ~、おいしいですよね。ザワークラウトはビールにも合いますし。でも、コーヒーや紅茶にピクルスはちょっと、ねぇ…」

私はアタマの中で、コーヒーや紅茶と、酸っぱいピクルスを合わせてみた。人間の脳というのは不思議なもので、今は食べていないのに、知っている食べ物の味を思い出しただけで、おいしいかどうかが想像できる。

紅茶ならまだしも、コーヒーとピクルスは……合いそうにない。私は思わず、眉間にシワを寄せて「コーヒーとピクルスって、おいしくなさそう」とつぶやいた。

「ですよね。いやぁ、そう考えると、ご飯にもお茶にも合う日本のピクルスは、すごいですね」常連さんはそう言うと、ニッと笑って、手元の日本酒をグビリと飲んだ。

私は、コーヒーと酸っぱいピクルスという、おいしくなさそうな組み合わせをアタマの中で打ち消し、目の前のいぶりがっこと日本酒という、おいしい組み合わせに集中することにした。


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