令和のマカロン
「アタシな、アホやろ。まだ引きずってんねん」
大阪から東京へ向かう新幹線の中。東京駅に到着する直前、彼女は、500mlのハイボールの缶を片手に、ポツリと言った。
大阪に出張していた私は、彼女と新大阪駅で待ち合わせ、一緒に新幹線に乗った。大阪のIT企業に勤める彼女は、ちょうどタイミングがいいことに、これから東京へ出張するのだという。
「な~、ホンマ。アタシはアンタと一緒に新幹線で移動する運命やったんやな」
あまりのタイミングのよさに、彼女はゲラゲラと笑ってそう言った。
新幹線に乗り込む直前、私たちはホームの売店に立ち寄り、飲み物を手に入れた。缶入りのハイボールである。
「かんぱ~い!明日からもがんばろな~」
プシュッとハイボールを開けて、カツンとお互いの缶を軽く合わせ、乾杯した。2人とも、グビグビと一気にハイボールを飲み、まずはノドを潤す。
「ぷはぁ~!カンカンのハイボールやけど、おいしいなぁ」
彼女はニッコリと笑うと、おつまみに手を伸ばした。東京では見かけない、紅しょうがの天ぷらのスナック菓子である。
「あ、そうそう。この、紅しょうがのピンク色見て、思い出してんけど。聞いてくれる?」
「なになに、どうしたの?」
「あんな、10月22日って、新しい天皇陛下の即位の礼があるやん?」
「うん。あるね。今年だけ、祝日扱いなんでしょ?」
「そうそう。それでな、元号が令和になったのって、今年の5月1日やん?」
「そうだね。そういえば、あれから5か月かぁ。早いね~」
「な。早いよなぁ。アタシ、あの時、デパートで買い物したら、記念品もらってん」
「記念品?令和の?」
「うん。それが、ピンク色のマカロンやったん、今、急に思い出して」
「ピンク色のマカロン?」
不思議そうな私の顔を見ると、彼女は「ちょっと待って」と言いながら、バッグからスマホを取り出した。しばらく、なにやら検索した後、1枚の写真を私に見せた。
「これ、これ。もう、5か月も前の写真やから、探すの大変やわ」
その写真には、「令和」と書かれた丸いものが写っていた。どうやら、これが「令和マカロン」らしい。
「これとな、白いマカロンがセットになってて。白い方には『祝』って、赤い字で書いてあったんや」
「ふ~ん。そんなの、デパートで配ってたんだね」
「そうそう。アタシもそんなん、ぜんぜん知らんで買い物して。お会計の時に、レジのおねえさんが『よかったら、マカロンもらってきてくださいね』って、引換券くれてん」
マカロンは、彼女が買い物をしたフロアとは違う階に特設会場があり、そこで引換券と交換にもらったのだという。
「いや~。アタシ、あの時は、ものすごく幸せやったから…。なんか、いろいろ思い出したわ~」
「いろいろ、って?」
「ん?元カレのこと」
「元カレって?付き合ってたの?」
「そう。不倫やったから、アンタにも言ってなかったけど」
「不倫してたの?!」
「そう。もう、別れたからええねんけど」
こういう時、大阪弁は便利なのか不便なのか、なんとも表現しづらい。「ええねんけど」という言い方が、サバサバというか、ユーモラスにすら聞こえる。
「アンタに話せるようになったんは、アタシの中で、気持ちの整理ができたからやと思うわ。聞いてくれる?」
さっきも、「聞いてくれる?」と確認したのに、彼女はもう一度、同じことを確認した。私は「うん」と、うなずいた。
「あのな、4月30日から5月1日になるときに、テレビで『平成から令和へ』っていう特番があったやろ?」
「うん。あったね。各局でやってた。全部のテレビ局で放送したんじゃない?」
「そうそう。どのチャンネル回しても、みんなカウントダウンの中継してて…」
そういえば、そうだった。どのテレビ局も、5月1日の午前0時になる瞬間の各地の表情を、中継で伝えていた。渋谷のスクランブル交差点や、三重県の伊勢神宮などだったと思う。
「アタシ、あのテレビ番組、彼氏と一緒にホテルで見ててん」
「え??ホテルで?」
「そう。東京の、ホテルで」
「東京の、ホテルで?」
私は、無意識に彼女の言葉を繰り返した。なんて返せばいいのか、わからなかった。
「そう。向こうも大阪の人やってんけど、仕事でちょいちょい東京きてたから。アタシと大阪で会うたら、誰に見られるかわからへんからって。お互いに都合あわせて、東京で会うてた」
彼女はそう言うと、手元の500ml入りハイボールをグビグビ飲んだ。あっという間に飲み干しそうな勢いになって、「ああ~。もう1本、買うてくればよかった~」とつぶやいた。
「大丈夫だよ。もし、なくなったら、車内販売で買えばいいじゃん」
「あ~、せやな。そうしよう」
彼女はニッコリと笑うと、安心したようにハイボールを飲み干して、話を続けた。
「んでな、令和になる時って、10連休やったやん?」
「うん。10連休だったね」
「だけど、彼氏は外資系やったから、ちょいちょい仕事があって、連休にならなくって。4月30日も、大阪で仕事しててんて」
「大阪で、仕事を」
もう、私はほとんどオウム状態である。
「うん。だから、いつも東京で会う時は、東京で待ち合わせして、ごはん食べてからホテルに行っててんけど、その日は、彼氏が東京に着くのがものすごく遅くなって」
「うん…」
「それで、もう、ごはん食べんと、まっすぐホテルに行こか、いうことになって」
「まっすぐ、ホテルに…」
「そう。それで、ホテルに行く途中のコンビニに寄って、赤ワインと乾きもん買うてな。ホテルに直行や」
その時、私たちが乗っている車両の自動ドアがスーッと開いた。車内販売のワゴンを押したおねえさんが近づいてくる。
「あ、すんません!ハイボール、ください。アンタは?」
彼女は、車内販売のおねえさんを呼び止めた。私が「ううん、まだあるから」と断ると、「そうか」と言って、自分のハイボールを買った。2本も。
「こんなん、しゃべってたら、お酒がすすむなぁ~。そんでな…」
プシュッと、2本目のハイボールを開けながら、彼女は話し続けた。
「後にも先にも、ホテルに直行したのは、そん時だけや。他の時には、ワインバルやら、日本料理屋やらに行って、ちゃんと飲んで、いっぱいしゃべってから、ホテル行ってたのに…。令和になる瞬間だけは、コンビニのワインと乾きもんやってん。色気、ないやろ?」
「う、うん…。たしかに…」
大阪の人は、本当によくしゃべる。私はいつも聞き役だ。だけど、この時の彼女は、いつもに増して、よくしゃべっていた。
「な。コンビニのワインと乾きもんなんて、ぜんっっぜん色気ないねん。しかも、ホテルの部屋にワイングラスなんてないから、フツーの、水のむ時のグラスしかなくって」
彼女は、その時の様子をありありと思い出したようだった。「ぜんっっぜん」のところにものすごく力が入っていた。彼女にとっては、よほどのことだったのだろう。
「せっかくな、好きなオトコと一緒にホテルにおんのに、水のみグラスとコンビニのワインやで。しかも、ええ雰囲気どころか、テレビ見てんねん。ふたり並んで。そら、ないと思わへん?」
「ないと思わへん?」のところで、私の顔をのぞきこんだ。ハイボールの酔いが回っているのだろう。彼女は、ますます饒舌になっていく。真剣に聞いていた私は、ちょっと笑ってしまった。大阪弁のなせるワザである。
「う、うん…。ないと思うわ」
「せやろ?それでもな、そん時はそれしかないから、しゃあないやん。テレビでカウントダウンやってたから、令和になった瞬間に、水のみグラスに入ったコンビニのワインで乾杯したわ」
「乾杯したわ」のところで、彼女はハイボールの缶を、高々と掲げた。私もつられて、手元のハイボールの缶を掲げる。
「かんぱ~い!」
どちらからともなくそう言って、缶どうしを合わせ、グビリと飲む。
「んで、その時な、彼氏がアタシになんて言ったと思う?」
本当は、もう別れているのだから「元カレ」なのだが、そういうツッコミは、ここでしてはいけない。
「彼氏が…?なんて言ったの?」
まさか、そのタイミングで別れ話ではないだろう。いくら不倫でも。
「あんなぁ。『令和、おめでとう!新しい時代を、一緒に迎えれたなぁ』って、言ったんや。あの人、たしかに、アタシにそう言ったんやで」
思わず、声が大きくなりそうなところを鎮めるように、彼女はまた、ハイボールをあおった。そして、ハイボールをグビリとノドへ落すと、そのまま顔を上に向け、ちょっとだけ目を閉じて、フ―ッと息をはいた。
「令和は、一緒に迎えたのに、即位の礼は、一緒におれんかったわ…。こんなん、中途半端やんな…。即位の礼も、一緒に見な、意味ないわ…」
彼女はそうつぶやくと、またハイボールをあおった。今度は、しばらく上を向いたまま、なにもしゃべらなかった。大きな目から、涙がこぼれ落ちそうになっていた。
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