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「生活の隙間で」と「煩いの食卓」を解剖してみる

こんばんは、瓶宮です。
めっきり寒くなってきて、先々週半袖で過ごせていたことが信じられません。なんなんですか?

アピールしたがりなので、紹介みたいな、あるいは解説みたいなノートを書きますね。
小説を書きました。オリジナルです。初めて連作っぽいのに挑戦してみました。

まずこちら。高野という男が過去の友人を思い出しながら、母校の地域を巡っていくという話です。もともと、パノラマパナマタウンのライブに行ったときに、亡くなったお父さんを想って書いたという風に紹介された曲を聴いて、「その人を思い出すこと自体が愛じゃないですか!」と感銘を受けてこの作品を書きました。

過去に親友と呼べるような人がいたが、時の流れとともに疎遠になり、もう会えないのかもしれない。けれど、こうして思い出すだけでも十分に愛だと思うよ……。という気持ちでガリガリ書いた。

その後に書いたのがこちら。葵という男が信頼していた友人に裏切られて、その記憶ごと忘れて新しく前を向いていこうという話です。「生活〜」と比べると、闇深い感じがする。
こちらは、私の経験がもとにありまして……。少ない人数で部活をまわすという少しバタバタしている環境の中で、私も友人も疲弊していました。そこで友人が休んだことに「え〜〜〜」となってしまい、以降その人を避けてしまうようになったという加害の過去があります。お互いにしんどい思いをしていたのは確かなのですが、私が気持ち的に追い込まれていたこともあり、そのまま疎遠になってしまってこれも仕方ないかと思って過ごしていました。それがここ最近になって直接会って謝りたいという気持ちが芽生えてきまして。そこで、先ほどの「その人を思い出すことは愛だ」という言葉に疑問を感じたわけです。いま私が思い出しているのは、愛ではなく自分の保身のためなのではないか?完全なるアンサーとまではいきませんが、そういった気持ちを昇華させようとしたところこの作品ができました。(自分のために作品をつくるのもどうなのかな?という気持ちもあるが……)

葵くんは書いていて自己中なヤツだぜ!と思いましたが、繊細な人間だったのだと思います。逆に航希くんは鈍感というか普通というか。ただ、過去にそういった輝かしい経験があったことは確かで、その事実が大切なものになるんじゃないか?と思います。
映画を通して交わっていく2人ですが、過去へのアクセスなのか未来へのアクセスなのかというところでうまく書けた気がする。バッドエンドかはたまたハッピーエンドか微妙な作品を書いてしまいがちで、これらも見事にそうなった。

みなさんにはどんなエンドに見えましたか。もしよかったら続けて2作読んでみてください。

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