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【第2回】「冒頭に1番おもしろいシーンを書け」は本当か?

「いや〜じぶんはなんというか、最初の1ページでグッとくるかこないか、ですかね」
 というのを1番よくきく。なんの話かといえば【本を買うか買わないかの判断基準】の話である。

 この企画『#RTした人の小説を読みに行く をやってみた』ではみなさまの暖かいご支援と力作を惜しみなくご紹介してくださる作者さまたちのお陰でおおむね好評のまま最初の10名のレビューを公開することができた。
 大滝瓶太奨励賞について、「ラジオのハガキ投稿」みたいなエンタメ要素を導入し、より多くの方と楽しめるよう創設してみたが、これは繰り返すけれど、あくまでも「広くネットで議論されるとおもしろいのでは?」という基準で選んでいて、絶対的な小説の良し悪しでは決してない。
 ぼくの批評軸として技術的なものへの関心は強いため、「小説の良し悪し」というカラーをどうしても感じとってしまう方がいるのは、あくまでも評者であるぼくの「小説を読む力」の不足によるものだと、ぼく自身は考えている。
 ぼく自身の小説観が解体されるような得体の知れない小説をできる限りとりあげたい……そういう想いが強くあって、この企画自体の個人的なおもしろさはそこにある。小説をご紹介してくださる作者さんといっしょに、ぼく自身もいまより高い次元で小説を考えられるようになりたい。

 さて、余談エッセイの第2回となる今回のテーマは「冒頭の書きかた」だ。
 ぼくは評を公開した10作以外の作品も目は通していて、やはり「通読したい」「批評したい」とおもう作品を意識的にも無意識的にも選んでいる節がある。
 この記事の冒頭に話をもどすが、メディアで著名人が「本屋でなにを買うか選ぶときに基準とするもの」でもっともよく目にするのが「冒頭のインパクト」という意見だ。
 また、縁あって出版社の編集者の方とお話ししたときも「数ある本のなかから選んでもらうための戦略」のひとつとして、この冒頭の問題が出てきた。これはTwitterやWEB記事でも業界人(らしきひと)にたびたび言及されていることで、なかでも象徴的に感じたことばが、
「冒頭に1番おいしいシーンを持ってきてください!」
 というものだった。
 ぼくがいざ大量の小説を読み漁ることになって、このことばの意味は理解できるのだが、しかし実作者としてはこのことばはまだ解像度が低いようにおもわれる。実作を行う方ならこの「手にとってもらえること」と「良い小説を書くこと」の微妙だけど決定的にちがう感覚を共有できるとおもうのだが、以下ではその話をする。

──(例によって、缶コーヒー1杯分でお付き合いください)──

傑作の冒頭はいつも「おもしろい」か?

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