『Ghost to Coast』より「先生と聖骸と私」と「ヤムとメラハ」の話

 これは、2019年5月12日に発行された同人誌、漂着物アンソロジー『Ghost to Coast』に収録された2篇についての感想である。ジャンルは現代ファンタジーだろうか。表紙は三色刷り風味。遠くの島(岸?)の、ちらりとのぞく白地にこだわりを感じる。
 ここでは、収録されたうちの標記2作について思ったことをメモしておく。致命的なネタバレは避けているつもりだが、ややヒントは出してしまっているかもしれない。ご注意ください。

 『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』でハヤカワSFコンテスト優秀賞を受賞しデビューを遂げたsanpowさんこと三方行成さんの「先生と聖骸と私」は、まず冒頭で語り手と「先生」が不死者であると明かされる。三方さんは、出だしの大ネタを転がし続ける、あるいは核にしたアイディアをどんどん補強し活かしていくのが得意な書き手である。本作は後者に属する。短編集『流れよわが涙、と孔明は言った』(早川書房)に収録された「竜とダイヤモンド」は、ドラゴンが車と交尾するテーマに沿った傑作であり、物語の展開と並行してドラゴンの生態が開陳されていくのが楽しい。
 さて「先生と聖骸と私」では、まず不死者が存在する世界であることを提示され、やはり不死者のライフサイクルが明らかになっていく。聖骸と呼ばれる謎の物質を食べると願いを叶えられ、しかも不死になる――そのサイクルが実際のところ、どのような原理なのか追求しつつ、先生と語り手の来歴を紐解いていく。今回は先生の「仮説」も「目撃した真相」もなかなか強引だが、そういうホラもそれはそれで楽しいので、私は有りだと思う。大胆さも三方さんの魅力だ。なお不死のメカニズムが理論だてられていくのはSF的だが、願いが叶うというオプションもついているため、願いが叶う滑稽さ/哀しさ/恐ろしさは寓話や民話を思わせる。ペローの「三つの願い(おろかな願い)」やW・W・ジェイコブズの「猿の手」のように。
 しかし何より、本作で特徴的なのは、主人公の独白が呼び起こすネガティブな共感ではないだろうか。(自責、自分が利己的であることへの嫌悪、償えない罪悪感 etc.) 作者は情念を全開にせず淡々と書いているが、こういった気持ちは多くの人が日々苛まれている、とても普遍的なものだと思う。
 この話は「竜とダイヤモンド」のような大団円では終わらない。終盤で明かされる、回収しては穴に投じるある仕事は地道で、ヒロイックさのかけらもない。そこに私はつい、投げ出さずに日々の暮らしを続けることや、災害後の復興を重ねて見てしまう。誰も彼らの行いに気づいてくれない。おまけに動機もそう前向きではない。それでも、ある選択肢の可能性を求めて、登場人物たちは行動を続ける。
 後半の舞台は、グアノ(「海鳥の糞が堆積し固まったもの」デジタル大辞泉より。一時期は上質な肥料として尊ばれたらしい。)が採れる、ゴミが漂着する小島である。要するにクソとゴミの塊だ。そこで僅かな希望を拾い集めるのは、賽の河原、蟻地獄、「砂の女」のような煉獄を連想させる。でも後味は悪くないので、安心してほしい。

 続いて、アンソロジー主宰の大戸又さんによる「ヤムとメラハ」を紹介する。
 ヤム・ハ・メラハはヘブライ語で「塩の海」で、すなわち死海を意味する。だから本作は塩の物語で、死や不毛の物語でもあるはずだ。
 舞台は現代のウィーン。父に暴力を振るわれながら生きてきた移民の若者(ウクライナのハンガリー系住民と推定される)の回顧形式で語られる。子供時代はゴミ漁りで小銭を稼ぎ、父親と同様にドラッグの密売人になる他の道はなかった彼の来歴の物語だ。時代ごとにウィーンに降り積もった歴史と建造物(例えばシュテファン大聖堂、社会民主党時代の公営集合住宅、ヒトラーが住んでいた独身者向け集合住宅、芸術家の家)が、ストーリーの傍らで紹介される。
 本作を読み進めて浮かび上がってくるのは、地続きの欧州が時代ごとにいかに分かたれてきたかということと、地続きゆえに多くのものを共有する(例えば民族、名前のバリエーション)こと。そしてアウトサイダーは常に存在するということ。旧約聖書の逸話からこぼれ落ちた私生児たちから始まり、いついかなる時も、主流ができれば必然的に傍流はできる。(結末で明らか)
 これもまた、ゴミの山の中に希望があるかもしれない話で、主人公の目論見がはたしてうまくいくかはわからない。ただ、やるべきことと共にやる仲間があるのがかすかな救いなのも共通している。
 本作の異界のシーンは美しい。特に電車の中、最初に異界と繋がるシーンと、〈小死海〉のシーンだ。美しいという評価を具体的に分解すると、作者の筆が乗っている、文章が丹念に磨かれていて言葉の過不足がない印象を受けたということだ。音や字面に隙がない文章は、読んでいて安心して身を任せられる。
 ところで、私もかなり色々も検索しながら読んだが、注釈なしで問題ないと思う。みんな検索するための装置くらい持っているはずだし、ここのサンプリング元は何かって目星をつけて探すのも、この小説を読む醍醐味だからだ。誰が何をどこまで検索してくれるかはわからないが、それぞれに漂着を楽しむべきと思う。

 漂着物という題を使って別々に書いて、共通性が見つかるのも漂着性があって良かった。(これを時代性や世代論にまとめるのは野暮になりそうなので避けた。最近うちの浜に流れつく瓶にこういう傾向があったというのは、がんばって読みとこうとしても占いになりかねない)

 他の収録作にもそれぞれに良かったところがあるけれど、まとまりと時間の余裕の問題で、本稿で言及するのは2作に留めた。すみません。
 以上ごちそうさまでした。

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