未訳小説レビュー Moondogs by Alexander Yates (Doubleday, 2011)


※この文章は『本の雑誌』2011年11月号に寄稿したものの再掲載です。8年近く経ちましたが、翻訳される気配はありません。私はこういう本が好きですという名刺がわりに投稿しておきます。

 蒸し暑さにくらくらすることの多かった今夏、どうせなら暑い国を舞台にした、めくるめくような物語を読みたいと思った。
 そんなわけでこの長編小説Moondogsを手にとった。家族の仕事の関係でハイチ、メキシコ、ボリビア、フィリピンなどを転々として育ったアメリカの新人作家アレクサンダー・イエイツのの第一長編である。なにげなく読み始めたこれが、めちゃくちゃ面白い。
 時は2000年代、舞台は選挙に沸くフィリピンのマニラ。アメリカ人誘拐事件をめぐる群像劇だが、文学とクライム・フィクションの両サイドに身を置き、おまけにマジックリアリズム色も濃厚な家族小説というくせものである。
 長らくフィリピンに滞在するアメリカ人ハワードは、妻とずっと別居しており、唯一の子どもであるベニチオとの関係はひびわれたままだった。妻の事故死から半年経ち、この機になんとかまっとうに交流を持とうと夏休みのベニチオをフィリピンへ招きよせる。ところが、拾ったタクシーの運転手イグナシオに誘拐され、ハワードは暴行の上、監禁されてしまう。
 視点は事件に関わる者たちの間をくるくると動きまわる。登場人物はいずれも個性的で忘れがたい。
 まず、やることなすことうまくいかないイグナシオ。彼は金持ちそうなアメリカ人をイスラム系テロリストに売りつけて稼ごうと思いつく。彼がお守りがわりに連れて歩くのは、目をやられて闘鶏を引退した雄鳥ケロッグだ。名の由来はコーンフレークのマスコットに似ているから。やたらとかしこく、悠々とタバコをふかしもするこのニワトリを抱え、イグナシオはいきあたりばったりに誘拐計画を進める。
 一方、うだうだとモラトリアムの延長のような暮らしを続けていたベニチオは、夏休みにフィリピンへやってきた。ところが迎えに来るはずの父親は空港に現れない。幸い、ハワードが住まいにしている五つ星ホテルにはベニチオの分の部屋も用意されていた。不信を抱えたまま、ベニチオは父の知人たちと怠惰に日々を過ごす。
 ところでベニチオの母は生前、よく予知夢を見ると主張していた。それが本当なら、夫の不貞や自分の交通事故死といったみじめな運命も避けられたはずだと、ベニチオはてんで信じていない。しかい彼も実は同じ力を受け継いでいた。ある晩もまた、雪の降る夜、ぼろぼろに傷ついたハワードが歩みゆくのを夢みる。かたわらには子馬ほどもある巨大な犬がいた。もちろんマニラに雪が降るはずもなく、ベニチオはただの夢だと思いこもうとするが。
 モニークは幼少期をフィリピンで過ごし、タガログ語に堪能なことからアメリカ大使として再びフィリピンで暮らしている。しかし養子二人は難しい年ごろで、夫とも気持ちのすれ違いが続き、彼女はひそかに現地人と不倫を重ねていた。息子の部屋でクスリのパイプを発見して動転してまもなく、ハワード誘拐が報じられ、彼女の忙しさとストレスは最高潮に達する。
 中年のレイナトは伝説的な警官で、その活躍は映画シリーズ化されて、一世を風靡したほど。主演俳優とはうらはらに実際はぱっとしない小男だが、彼にはある特殊能力があった。生まれつき特別な力をもった人間、ブルッホと呼ばれる「まじない使い」を見つけることができるのだ。スカウトした三人のブルッホを私兵として従え、レイナトはタスクフォース・カ・パウ(Ka-powは英語で発砲の擬音にあたる)と名づけたそのチームで、独自に捜査や悪人退治をしていた。
 このタスクフォース・カ・パウのパートはとくに荒唐無稽で、たとえるなら『特攻野郎Aチーム』とサルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』の完璧なミクスチャー。最高にして最悪の運勢の持ち主ラチャは、全身に傷跡がないところがない。近くに飛んできた流れ弾はだいたい彼に当たるので、仲間からは弾よけとして重宝されている。他人の分もケガを負う強力な不運を背負う一方、いつも致命傷にはならず、回復の速さも尋常ではない。エルヴィスは蜘蛛、犬、鳥などあらゆる動物に姿を変えられ、偵察にはうってつけだ。ロレンソは手品師だが、ただし彼の奇術にはほんとうに種もしかけもない。無からウサギやハトを生み出すこともできるし、銃を旗が飛び出すオモチャに変えることだってお茶の子さいさいだ。そして新メンバー。モロ人という、イスラム教徒で外見もタガログ族とはだいぶ異なる民族出身の若者エフレム。彼の能力は、飛び道具の百発百中と千里眼のセットだ。不敗の狙撃手を迎えたタスクフォースはハワード奪還の任務につくのだがはたして……。
 一見、自由奔放につむがれたそれぞれの物語が、読むにつれて結びつきを明らかにする。ユーモラスなところも多いが、後半はずっしり重い。人間の弱さやしたたかさ、意外な一面、理想と現実の差。登場人物たちの甘い幻想は次々に破られ、突然の非常や暴力には読む側も驚かされる。定められた運命はくつがえせず、すべて成就していくさまは古典悲劇のようだ。とくに、実の父を知らず、恵まれない子ども時代を過ごしたエフレムに降りかかるさらなる苦難には胸が痛くなった。人間いつかは過去を克服できるというメッセージが匂わされるのが、ほのかな救いだ。
 著者の在住経験が活かされたマニラの風景描写は、さりげなくこまやかで目に浮かぶよう。カタルシスとカタストロフィーが最高潮に達するあたりで、ある登場人物の特殊能力によって大自然も一緒に荒れ狂うクライマックスにしびれた。
 今年読んだ小説の中でも出色の読みごたえで、邦訳が出ることを祈るばかりだ。ジュノ・ディアスやデイヴィッド・ミッチェルが好きな人は、これもおいしくいけるんじゃないかと思う。ノワールや冒険小説が好きな人の感想もぜひ聞いてみたい。

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