旧日光街道ウォーク㉑(完) 今市宿→鉢石宿
こんにちは、ばーどです。
2024年4月7日(日)。
150kmのフィナーレは、青空も桜も人混みも、満開でした。
0.朝の今市宿
部屋の真下が、日光街道(左)と例幣使街道(右)の合流する地点。
街道好きにはたまらない風景、朝から堪能です。
昨日の雨も上がり、青空が広がる、清々しい朝です。こんな素晴らしい日にゴールできるのは、最高の気分。
創業280年の渡邉左平商店の銘酒「日光誉」。商店は開店前でしたが、蔵を備えて風格ある立派な店構えです。
敷地内の桜がきれい。駐車場にお邪魔して、写真を撮らせていただきました。
今市宿を抜けて、杉並木の後半戦に入ります。
1.杉並木公園
隣接する公園を散策します。
日光杉並木を後世に残す制度。
写真のような民間企業以外に、自治体や、個人名も多数、ありました。
杉並木の中にある一里塚は、3か所。いずれも保存状態が良く、世界遺産の杉並木保存の恩恵を、少なからず受けているようです。
その最後は江戸から三十四里目、瀬川の一里塚です。
北塚の裏側も見たくなり、少し先から街道沿いの杉並木公園を歩いて戻ります。
杉並木公園内には、後世に残す取り組みが紹介され、興味深く拝見します。
「ポカラ」という中空コンクリートブロックを、道路下に埋める工法。
ブロック内に栄養土を入れて樹根が伸びる空間を確保し、路面の地盤沈下も軽減する効果が期待、という保護策です。
日光市の学産官連携事業。
地元の工業高校生が中心にベンチや手すりを制作、民間企業が水力発電施設を整備、市が再生エネルギー活用を促進、と連携して取り組んでいます。
公園内で少し休憩。
2.砲弾打込杉
この先、杉並木沿いに民家や農地がある、一部区間は生活用車両が通行できるよう、路面は石畳風の舗装が続きます。
完全な車両通行止めではありませんが、地元以外の車両は南側の国道を利用するよう、分離されているので安心ですね。
戊辰戦争の戦場となったときの砲弾がさく裂した跡が残る杉の木。
徳川ゆかりの日光をめぐる官軍と旧幕府軍の戦いが、宇都宮や今市で繰り広げられました。この地も激戦地のひとつ。
幕府軍が敗走した日光へ総攻撃を計画した官軍に対し、「このまま進めば、犠牲者も増え、東照宮消失してしまう」と、日光山の僧が懇願したことで、板垣退助が停戦したと言われています。
3.龍蔵寺跡薬師堂
かつて街道沿いにあった龍蔵寺。その地に残る薬師堂の前で、休憩。
ここの桜は、実に見事でした。
並木ではなく、一本だけの桜の木でしたが、青空と山々をバックに堂々と、鮮やかな色どりの花を咲かせる姿。この日の最高のシーンです。
4.並木太郎・銀杏杉
今歩いている国道119号のすぐ左に、JR日光線が接近。右側には今市宿から東武日光線がずっと寄り添ったまま。
谷が狭まり、日光へ向かう交通路が集ってきました。
この辺りの杉は初期に植えられたものが多く、1620~50年ころだという。
堂々たる木々が多い中、特に美しいとされて「並木太郎」と名付けらえた銘木があります。
案内板が建てらていたようですが見つけられず、いろいろなサイトの画像を見て、多分これだろうと思った大木を、my「並木太郎」としました。
その先、根の形がイチョウの葉のようだとされる「銀杏杉」があります。
1時間に1本程度のJR日光線。人気の東武スペーシアX。
線路が両側すぐにあったというのも幸い、どちらもたまたま見ることができ、非常にラッキーでした。
神橋まで七里の場所にあることから、地名がついたとされてます。
また、江戸から三十五里目の「七里の一里塚」は、この辺りにあったようですが、その位置は不明です。
この地蔵に願掛けして筋違橋の下をくぐると、麻疹(はしか)がなおるという。
日光の町が近くなり、杉並木街道もあとわずかです。
5.<第二十一番>鉢石宿
鉢石(はついし)宿は、日光街道の最後の宿場町。同時に、二社一寺の門前町として栄えた町です。
日光駅前から市街地を抜けて神橋を渡り、現在のいろは坂の手前まで運行していた、山道を走る珍しい路面電車。明治末に開業し昭和43年に廃止。
東武日光駅前は、観光客で大賑わい。
春休みの週末、そして前日の曇りから一転して春の晴天となり、特に人手が多いように思いました。
その観光客に交じって、宿場町を抜けて神橋まで向かいます。宿場町の雰囲気を残す風景は少なく、観光地として変わっていく街並みを、日光名物を探しながら歩きます。
大正期に外国人用ホテルとして建築されたが実際に営業することなく、地元企業の社員寮となり、戦後は進駐軍に接収され、昭和23年に日光町役場となっっています。平成の大合併で市役所機能が移転するまで、「最後の木造建築市役所」として活躍したそうです。
並木寄進碑
将軍の参拝も、この橋の手前で駕籠を下り、徒歩で日光山中に入ります。
ここが日光街道の実質的な終点、ということになるでしょう。
日本橋から約150km、5.5日で到着です。
今市宿→鉢石宿
距離 8.5km
所要 2時間25分(休憩除く)
6.日光二社一寺
せっかく日光に来たのだから、観光もしようと。
実は、もう二十数年前に来て以来、だと思います。それぐらい記憶がないのです。外国人観光客が見に来るくらいの価値がある、それを日本人の自分が知らないのは残念。
まず、輪王寺に向かいます。
次は東照宮へ。表参道を進みます。
このあと薬師堂の「鳴き龍」も見てきました。
さすが家康公が祀られているだけあって、そのスケールと豪華絢爛さには、圧倒されます。京都や奈良の寺社仏閣とも違い、きらびやかな色使いは東照宮ならではですね。
次は、お隣の二荒山神社へ。
神門を下り、輪王寺の大猷院(たいゆういん)にも参りました。
東照宮の陽明門よりも大きいこの門も、鮮やかな朱色が目を引くきらびやかな門。そして左右を守る二天の像も、実にカラフルなお姿。
門をくぐって振り返ると、今度は風神と雷神が。
平成30年にお色直しを施したので、ますます色鮮やかな印象です。
二社一寺の最奥部にあたる、大猷院の本殿。
森に囲まれ、空気も少しひんやりとした、東照宮とは少し違うスピリチュアルなスポットのように感じます。
個人的な感想ですが、この特別な場所は「日光街道ウォーク」を締めくくるにふさわしい、そんな雰囲気の素敵な場所でした。
7.最後に
日光街道二十一次。約150kmを5日半で完歩しました。
1月初め、まだ松飾りが残る日本橋をスタートしてから約3か月後に、桜が咲く春の日光に、無事に到着。
途中で出会う史実も、源氏の奥州征伐、芭蕉「おくのほそ道」、戊辰戦争、など、東海道五十三次を歩いたときとは少し違う風景と出会い、学びと楽しみを得ることができました。
つたない文章にここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。
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