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旧日光街道ウォーク③ 草加宿→越ケ谷宿

こんにちは、ばーどです。

2024年1月6日(土)。
草加宿を抜け、北に向かいます。日没までに次の宿場にたどり着けるか。



1.草加松原


草加宿を抜けると、綾瀬川沿いの「草加松原」が続きます。

綾瀬川と草加松原
日本の道百選にも入っている

もともとは蛇行していた綾瀬川を、1683年に直線状に整備した際に、植樹されたのが始まりだとか。
芭蕉が「おくのほそ道」の旅を始めたのは、その6年後になります。
現在は遊歩道として立派に整備され、地元の方が犬の散歩やジョギングを楽しんでいます。

矢立橋と名付けられた太鼓橋
一直線に続く遊歩道
かつての船着き場の復元だろうか

どの松並木にも共通する悩みが、害虫の駆除。あちこちに対策が見られました。

こも巻き 蛾の幼虫を一網打尽に
薬剤の樹幹注入
ドナルド・キーンの碑
説明書
百代(ひゃくたい)橋
日光街道草加松原 石碑
松原大橋

ここから西へ300mほど進むと、東武伊勢崎線の「獨協大学前(草加松原)駅」があります。
2017年までは「松原団地駅」でしたが、大学と名勝地の知名度向上を狙ったためでしたが、元の駅名にもなったマンモス団地の名称も、おそらくこの草加松原からとられたんですね。

芭蕉文学碑
ジョギングする人の後に続く
草加松原はここまで
振り返った風景

やはり街道には松並木が似合うと、改めて感じました。
日光の手前には有名な杉並木もあり、今から楽しみです。


2.蒲生の一里塚

松並木は終わっても、綾瀬川沿いに道は続きます。

川沿いの道
祠の中の地蔵三体
東京外環状自動車道と水門
外環道と一般道の下をくぐる
当時の風景はこんな感じ?
さらに川沿いの道
バス通りを横断 夕方の渋滞

ここまで一直線だった綾瀬川が、少しカーブを描いてます。
流路の整備を行う「北の起点」が、ここだったのでしょう。

カーブする川と街道
貢米の積出場だった藤助河岸跡
右折して蒲生大橋を渡る
川の中間が草加市・越谷市境
橋を渡り、街道は左へ入る

左折する角の右側に、蒲生の一里塚があります。
これまでは、碑があるだけだったり、場所すら不明だったりでしたが、初めて「塚」がありました。

蒲生の一里塚
説明書
塚の横にある小さな社
もしかしてこれが塚の樹?

これが埼玉県内に残る唯一の、日光街道の一里塚だそうで、またこの先は碑や案内板だけなのでしょうか…。

街道に戻り北上する

かつては立場茶屋があったことから、茶屋通りと呼ばれていたそうです。

右の歩道は、綾瀬川支流の暗渠
不動明王の道標

台座が道標のスタイルは、なかなか見かけない、レアものだと思います。
ちなみに道標には「是より大さがみ道」。
相模国までつながる道があったのでしょうか。

かわいい草鞋がいっぱい
清蔵院の門 ご立派
県道に合流、右方向へ
歩道のポールが多すぎ

なぜポールが多いのか?、を考えてみたら、歩道が広いからではないか?。
歩道が広い理由は、さきほどまでもあった綾瀬川支流の暗渠が、ここの歩道と一体化しているからだと思われます。
少し進むと、普通の幅に戻った歩道が、不自然に低い位置にあり、これも川の跡のような気がします。

車道と歩道の「段差」
しばられ地蔵本舗
東武新越谷駅とJ南越谷駅の方向
JR武蔵野線の高架をくぐる
反対側の歩道脇にも、小川だった痕跡あり

東武伊勢崎線の新越谷駅付近を過ぎたのが、16:20。この先、越谷駅、北越谷駅と2駅進むと越ケ谷宿の中心エリアだが、まだ2km近くあります。
この日の日没は16:40で、明るいうちに到達するのは厳しそう。


3.<第三番>越ケ谷宿

瓦曽根のY字路を、左の道へ進む
16:30 越谷駅付近でこの日は中断
東武伊勢崎線 越谷駅
駅に併設 越谷の観光物産拠点施設

駅近くの焼鳥屋で栄養&燃料補給して、宿場町の訪問は次回に。

その後2月17日(土)に、続きのルートを辿りました。
(もう少し早く行く予定でしたが、本人が風邪をひいたのと、雪が降りそうだったため、日延べしたら1か月半後に・・・)

朝の街道風景
ホテルグランワイズ 和の雰囲気ある
越ケ谷の一里塚(詳細不明)はこのあたり
歴史を感じさせる診療所
赤山城(川口市)へ続く赤山街道
商店街のシャッターには、ほのぼのイラスト
鍛冶忠 重厚さがにじみ出ている町屋と蔵
現在も使われているのだろうか
別の蔵 絡まる蔦が歴史を感じさせる
現代の旅籠 旅館河内屋
古民家を活用した施設「はかり屋」
間口は狭く奥が深い 町屋風
古くからの家々が街道沿いに残る
市神社 二と七の日に市がたった
元荒川にかかる大橋を渡る
川沿いは親水エリアとして整備
東武伊勢崎線
元荒川の流れ
明治天皇東北巡幸時の小休止碑

元荒川を渡ると、かつての越ヶ谷宿の中心地で、本陣や脇本陣、高札場や問屋場があったエリアになるはずですが、残念ながらその痕跡はほぼ残っていません。

大松本陣跡はこの辺りか
玉屋脇本陣跡は造園会社に

痕跡が残っていない理由も、そもそも資料が無いことや、災害や戦時下の空襲など、様々だと思います。
しかし、自治体や地元観光協会、自治会などが、大学や歴史研究家と連携して、小さな歴史のロマンを見つけることには、大きな意味があると、個人的には考えます。
ハコモノの観光施設を作ったり、交通渋滞を引き起こすような、市民生活に影響をことはならないよう、身の丈にあった生活感レベルでも十分です。街道ウォーカーもですが、なにより地元市民が歴史にふれる機会が生まれることが、重要ではないでしょうか。

次は粕壁宿。10kmの道のりですが、このまま進みます。

草加宿→越ケ谷宿
 距離 9.0km
 所要 (1日目)1時間35分+(2日目)25分=合計2時間00分(休憩除く)


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