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ぶらり多摩川浅間神社

先月に富士山に登頂して以来、初めての多摩川浅間神社。
4年前、富士山に登頂できずに戻ってきたときも報告に来ました。
"また来いよ"
帰り際にそう声をかけられた気がして振り返った。

あれからコロナ期間を経て4年。こちらの神社は毎月お参りしているが、今回は登頂の約束を果たして来たのでした。

大祓詞(おおはらえのことば)

階段を登る前に「大祓詞石車」を回す。
一周回すことで、祓の大祓詞(おおはらえのことば)を奏上したことになるといいます。コロナ期間中は回せなくなっていたけど、また回せるようになっています。

大祓詞という祝詞(のりと)を唱えることで、罪や穢れを祓い清めるといいます。

いったん階段を登って、上を見上げました。
いつもと違う感覚。

「登山道」が「山頂」まで続く

”ここは富士山だ”

江戸時代、富士山へお参りする富士講が流行りました。でも今みたいに気軽に行くことはできず、富士登山は人生の一大事でした。
富士山に登りたいけど、登れない人のために、富士登山と同じご利益があるとされるところが江戸にいくつもつくられました。

ここは富士山をなぞらえて作られたことは知っていました。多摩川越しに富士山を遥拝できる場所でもあります。

でも今までここは富士山だ思って登ったことは一度もなかった。

富士山に登頂して何かが変わっていた。

烏帽子岩(えぼしいわ)

今回、初めて気がついたけど、これは烏帽子の三角の形をしています!
烏帽子岩をなぞらえており「食行身禄」と書かれています。

勝海舟の筆跡で「食行身禄」

山頂の鳥居の少し手前(八合目に相当!?)に位置します。

富士講の中興の祖である食行身禄(じきぎょうみろく)が登頂を阻止され八合目で入滅した場所が烏帽子岩だといいます。今では元祖室堂の横に烏帽子岩神社があります。8月の登山の際にはお参りしてきました。

水で清める

坂道を登り切ると手水舎があります。
近づくと龍の口から水がでてきます。

今までと何が違ったのだろう。
水で清めたあと、あらためて「頂上」まで登ってみて感じてみました。

よく来たなという感じではない。
それだと外からやってきた言わば「ゲスト」です。
自分とそれ以外の区別がある状態です。
でももはやそうではない。富士山は遠くから眺めるだけの存在、遥拝するだけの存在ではない、
いつもそこにいる、
いや、あえて言えば、富士山そのものというか一部になった感覚が近い。

六根清浄されたかな。

8月はいろいろありました。
得るものもあったけど失うのもありました。

今回、”声”は何も聞こえなかった。
”また来いよ”などという他人行儀な言葉はない。
もう「一体」なのです。


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