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子どもが将来に希望をもてる社会を

もし子どもが将来に希望をもてないとしたら、それは政治の責任だと思います。政治が国の行く先やビジョンを示せず将来に希望を見出せていないからだと思います。

世界に冠たる誇り高き日本へ

世界で日本人ほど世界のために役に立ちたい人種はいないのではないかと、ときどき思います。日本人はいつも何かに身をささげていきているように思います。
今こそ日本は、人類の成長に貢献し、世界の人が自立して生きることに貢献する国になってほしいと思います。

日本は世界に類を見ない悲惨な体験をしてきました。世界で唯一核を体験し大量虐殺をされた国です。しかも2回も。それでも日本は立ち上がってこれたのは、日本には柱があったからだと思います。精神的支柱がいたからこそ、たちあがれないほど、ぼろぼろにされたとしても、また立ち上がることができたのだと思います。

私たち日本人はそのことを忘れてはいけないと思います。
そういう意味で日本は本当に幸運だと思います。

そうしたうえで、国を運営する政治はどうなのか。政治は、その責任として常に日本が行きたい未来を国民に指し示す必要があると思います。

子どもが将来に希望をもてる社会を

子ども家庭庁が来年できることになりました。子ども庁にするか、子ども家庭庁にするか、はたまた、維新の会のこども省案もあります。どこの役所が所管するのかも大事だと思いますが、もっと大事なことは、どういう人材を輩出するかというビジョンです。国として目標(なりたい姿)があってこその人材だと思います。

菅首相時代に「自助、共助、公助そして絆」というスローガンがありました。政治家が日本の行先を社会に示し広く理解を得なければなりません。そして行政は公的にそれをバックアップ(公助)し、コミュニティも共に助けあい(共助)、個人は自立する努力をする(自助)が必要だと思います。

そんななかで子どもたちは、未来に希望をもっていきることができると思います。子どもだけでありません。大人もたとえ失敗してもやりなおせるのであれば、チャレンジしようと思うことができると思うのです。

人間は尊い存在

自分のスタンスとしては、「人間は愚かなこともしてしまうこともありますが、尊厳をもって生きるべき尊い存在であり、人類は滅びるべきではない」と思っています。

いきなり大きなことを言い出したように思うかもしれません。まだ20代の頃にふと聞いた「人類は滅びるべきではない」という一言が、何か勇気をくれた気がして、いつも頭をよぎるのです。

子どもの頃から、なぜ自分は生きているのか。人間とは何なのかと考えることがしばしばありました。若いころはいろいろ悩み、模索し、正直、気が狂いそうになることもありました。
今の結論として、
人間は尊いと感じるものを愛し、自分自身もそうなりたいのだ
ということです。

本来そうであるはずなのに、そうでないとしたら環境が整っていないからだと思います。
人間は環境が揃っていれば、健全に育つはずだということです。
「飢餓状態」では健全な判断ができないと思います。「飢餓」とは食べるものだけではありません。食、医療、教育といった生きるために必要な要素を満たされる必要があります。

ロシアの人は活気がないという話を聞きました。いくらがんばっても得るものがないというのであれば、希望をもって活力をもって働けるはずがありません。

今回のロシアによるウクライナ侵略を契機に、あらためて人間というもの、そして人間が形成する国のありかたというものをよく考えるようになりました。

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