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この場所から

夕暮れに駆け込んで。またぐるぐると迷いましたが、たどり着きました。
クリスマスあるいは年末でしょうか。訪れた方のお花が挿してあり、霞草がまだ元気でしたので、持参したお花とご一緒させて頂きました。

(よく見ると掃き残しがありました…。粗相をお許しください)

ふと心の内を話し始めていました。話すうちに、己の変わらない醜さのせいか泣けてきました。
なぜ泣いている?自分の醜さで泣いている?

それは泣く理由?
そんなことで泣くくらいなら、醜いままでいいから与えられた使命に従っていきたい。
自分の心の醜さの苦しみくらいなんだ。そんなもので泣くものか。
とびきり醜い。それがなんだと。使命の重大さに比べたらへでもないわ。

心を向き直らせていただいた。実際には全く手強くとも、この時はこのように感じたのでした。

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年始は帰省で、きのうまで東海地方にいました。
真夜中、家に落ちてくるんじゃないかと錯覚するほどの飛行機の轟音で目を覚ましました。その音はしばらく続いていました。救援関係の飛行隊だと思いました。夢ではなく、現実なのだと突きつけられるようでした。

地震があった元旦の夜に示されたタロットカードは ①Swords 7 ②Swords 10 ③Wands 7 でした。
被害の凄惨さはソドムとゴモラを想起させた。タロットの霊は、自分の代わりに被災した人たちだと私に伝えようとしていると思った。けれでもカードを示されて、私は本当には"当事者"として捉えてはいないのだと思い知らされました。

帰省の夜中の話に余談がありました。飛行機の轟音の数時間後、今度はガラスの割れる大きな音で飛び起きました。窓ガラスが割れた!?と思いました。
こわごわ調べると襖越しの隣の部屋で壁に飾っていた古い額が落下し、ガラス面が割れたのでした。
帰省先の地域でも揺れが大きかったため、その衝撃で落下しやすくなっていた。冷静に捉えれば思い至るのに、真っ暗な部屋で、いつもと異なる現実の状況と相まって、恐怖が心に広がっていきました。一人で部屋にいられないことから分かりました。信頼が根付くまでになっていないことを気付かされました。
翌朝、床に散乱したガラスの破片を見た時まるでS7のように感じました。強烈でした。

今起こっていることに対する受け止め方の甘さ。それは創造ということのとてつもなさがわからないことに対して、たかをくくっているからだと感じました。
どうしたらわかる?
まず甘さを抜け出すことが障害のかかるW7。ここから先は、これまでの甘さを伴っては決して通用しない。年末から気付かされている甘さという課題に本格的に取り組まねばならない。
②のSwords 10は翌日も同じ位置に示されました。マルクト、今のこの国の有り様。それは「私」のことなのです。国レベルとか、そういうことじゃない。起こっていることの全ては「私自身の現実」のこと。
使命とか、聞こえがいい。自分は書いて気が済んでいませんか。
実際にできますか?
やろうとしてもできない。だから委ねる意志の強さ、地道な日々の歩みが要されるということ(①はPrince of Disks)。

「#10 Fortune 運命の輪」を勉強していてふと思いました。私は師の夢なのだ。師に学ぶ者はみな、師の夢の種なのだと。
夢といっても、通常の個人的な夢とは異なる。タロットの霊がもたらす使命ほどに壮大な夢。宇宙的な、夢。師はこの夢の種が発芽し、新しい生命となることを、全人生を委ね夢見ておられる。

藤井武先生との場を今年の始まりとしていただいたことを本当に大切にしたい。今日あの場に自分が遣わされたことは、今日の#10 Fortuneであったと感じます。
この一年、師と共にタロットの霊の道をひたむきに歩いていくことが、どうか叶いますように。

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