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ケアかセラピーか

・ケア (Wikipediaより引用)
ケア(care) は、広い意味では、世話や配慮、気配り、手入れ、メンテナンスなどをすることである。 乳幼児の世話から愛玩動物の世話、衣服の管理、髪や肌の手入れまで、すべてをケアと呼ぶ。


・セラピー 治療、療法、薬や手術などを必要としない治療
(weblio辞典より引用)
「therapy」の語源は、古代ギリシャ語の「therapeia(治療)」にさかのぼる。この語は、「面倒を見ること」「療養という意味があった。その後ラテン語の「therapia」を経て、英語の「therapy」となったのである
「therapeia」は、もともとは神々仕え侍者を指す「therapos(侍者)」から派生した語で、身体的な手当てをする者を意味するようになった後に心身症などの病気障害治療することも含め幅広い意味に用いられるうになる。「therapy」は、現代でも医療分野で広く使用される単語であり、身体的精神的感情的な問題に対す治療法を表す。


今年の2月まで一年間受講していた
臨床心理学者の東畑開人さんの臨床心理学入門講座の中で

・ケアとは傷付けないこと
・セラピーとは傷付きと向き合うこと

と、まとめられていて
わたしは長いことセラピーを求めていたんだな。と判りました。


傷付きと向き合うことはとても痛いことでもありますが、深い傷の自覚があっても、ケアされるだけでは物足りないというのか。自分の位置が、もうそこではないと言った感覚がある中で、一体どこへ行けばこの停滞を抜けていけるのだろうか?
霧の中を彷徨うような状態が長く中、随分と遠回りをしました。


例えば、ピアカウンセリングを学んだ際に自己開示の場面で「可哀想ね。」といった感じの場のエネルギーに包まれて「うーん、なんか違うんだけどな。」という違和感を感じていました。

ピアカウンセリング(ピア=仲間・対等)は、同じような経験をした人々が集まる場であり、対等な立場での共感やシェアをする場なので、当時のわたし自身がまだ自分のニーズをよくわかっていなかった為に感じた違和感でした。


わたしに必要だったのは、
東畑開人さんの著書【なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない】
で書かれているような

広い共感やケアのような【シェアの関係】ではなく
傷つけあうことも起こりうる【ナイショの関係】なのでした。

自分が傷つかないように
相手を傷つけないように
と、距離を保っているうちは関係性は発展せず
相手と自分の本質的な事柄に気付くこともありません。

もちろん全ての人と関係性を発展させることはできませんが
深く人と向き合いたい私にとっては
とても大きな問題だったのです。


【傷つく事への体力がある人】と
【傷つく事への体力が無い人】がいる

という事実について考えてみた時、わたし自身が
ナイショの関係を求める事や傷つけあうことを恐れない傾向は
気質や体癖、エニアグラムなどの感受性と育成歴が
多分に関係していると今では感じるようになりました。
(気質・体癖・エニアグラムなどの感受性傾向については今後記事にしていく予定です。)

ここまで書いて、これから何かのセラピーを受けようかと思っている方に
誤解を招いてしまう恐れがあるかな?と思うのは、このふたつは
【くっきりと線引きされているわけでは無い】ということです。

セラピーのプロセスの中でもケアを受ける場面がありますし、
専門家であっても一人の人間なので
ケアが必要な場面で相手にセラピー的な働きかけをしたり
セラピーが必要な場面で相手にケアをしたり。
そんな背景からギクシャクしたり遠回りするような場面もあるかと思います。


セラピストとクライアントという関係性で見てしまうと、どうしても上下関係のように感じてしまいますが人間対人間へ置き換えて考えてみると、どれも互いに歩み寄ろうとするトライ&エラーの繰り返しで【信頼】というものを築いていくためのプロセスそのものです。

これらをまるっと含めて、共に乗り越えていくための
『経験の場』なのだと今では強く思います。


そこでの経験で得たことを外で色々試していくのが実践ですが、
カウンセリングとは失敗することが許される場でもあるのです。
そのために訓練された専門家がいるのですね。



自戒も込めて、セラピーやケアを提供する側も
無意識に自分の感受性傾向がセッションに反映されやすいため
自分がしている事はどちらなのか?と、
常に再確認する必要があるように思います。


受ける側も自分のニーズをしっかりと把握すること。
そして、相手の提供しているものはどういったものなのか?
そのセラピーの背景も含めて吟味することが遠回りや余計な傷付きを防ぐ
一つの手段となるのかな。と、考えています。

そして、たとえ遠回りしたとしても一番大切な事は
自分を諦めないことです。


今回はケアとセラピーの違いについて書いてきましたが
なんとなくでも理解していただけていたら嬉しく思います。


長くなりましたが【傷付き】というキーワードを
もう少し掘り下げていきたいので、次回は 伊藤亜沙さんの著書
手の倫理 〜さわるとふれるがひらく世界〜
を題材として、続きの記事を書きたいと思います。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!





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