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エキスパートとスペシャリストとプロフェッショナル

 私たちが通常会話をしているとき、「エキスパート」と「スペシャリスト」と「プロフェッショナル」はあまり意識して使い分けをされることなく使用されています。これにはおそらく理由があります。そして、そのような現状は特に悪いことでもなくよいことでもなく、私たちのカルチャーがその3者にあまり大きな差を必要としていないものを持っているのだろうということです。いったいこれはどういうことなのかということについてちょっと考えてみます。

 この3者が持つ共通の特徴は、いずれもある特定の領域において高度な能力を持っているということです。ただ、その意味は異なっています。

 私の理解では、この3つの単語は以下の様に日本語の対応があり、それぞれは以下の様な意味を持っていると思っています。

エキスパート = 熟達者:エキスパートはある特定領域において高度な知識を有しており、さらに技能を持っている人間です。しかし、それは自己完結しています。すなわち、その人個人のパフォーマンスがある一定以上あるのであれば、誰の役に立たなくてもその人はエキスパートです。例えば、「ワインのエキスパート」は特にソムリエ試験を受けていなくてもエキスパートでいることができます。しばしばエキスパートは職業専門家よりもより高い知識を有していたりします。それは、その個人がその特定領域に対する情熱と、訓練を行った結果においてです。ただ、それはあくまで個人の能力であり、その能力が誰かにとって必要であるとかの条件は必要ありません。

スペシャリスト = 専門家:スペシャリストには、スペシャリストに手伝ってほしい依頼者が存在します。すなわち「この領域のことについてはあの人が特によく知っている、もしくは技能があるからあの人に頼むといいよ」という位置づけにいる存在です。スペシャリストは、スペシャリストになるための要件を満たすよう、自分を磨く努力をし、知識と技能を得ていきます。そこには「この人は特定領域のことについて依頼できそうだ」というある程度共通の基準が存在しますが、それは明確なものである必要はありません。具体的に依頼をする個人、もしくは集団から「この人は専門家である」という認識と、自分自身の「自分は専門家として認識されている」という認識があれば、専門的事項に関する依頼をする側と応召する側との関係性は成立します。例えば、私は当院院内では「統計のスペシャリスト」だったり「倫理のスペシャリスト」だったり「研修医教育のスペシャリスト」だったりの認識がなされていて、その関係性の中で同僚から依頼を受け、そこに応召しています。すなわち「スペシャリスト」の認証は、クライアント集団が個人に与える場合と、自分が自ら名乗る場合とがあるということです。しかしながら、たとえ自分から「私は専門家である」と名乗ったとしても、クライアントの期待に応えるだけの能力が不足しているとクライアントから認識されてしまえば、その時点でスペシャリストはスペシャリストとしての記号をはく奪されてしまうことになります。ですから、しばしば「私はスペシャリストである」という他者との関係性を強固で固定化させるために、そこに専門家としての認証システムを持ち込むということが構造的な方法として導入されます。研修の受講証書だとかはそのような意味があるかもしれません。強固な認証システムの典型的な事例は制度化された専門医です。ただ、ここで注意するべきは、誰がクライアントなのか、ということです。専門家の中の専門家、例えばワインの世界でいえば「南アフリカワインのスペシャリスト」と呼ばれる人があったときその人のクライアントは広く一般のレストランユーザーというよりは、同じソムリエ仲間だったり、あるいは、南アフリカワインを売りにしているレストランに来る顧客です。同じように、「肺がん治療のスペシャリスト」に直接依頼したいとしてアクセスする人間は、むしろ同業の医師であることが多いのです。

プロフェッショナル = 専門職:「プロフェッショナル」とみなされる人の典型は「弁護士」「医師」「教師」などです。このような人たちは、一般的な「専門家」のイメージとは若干異なっているのではないでしょうか?確かに専門的な技術を必要としてはいますが、「スペシャリスト」のイメージとは少し違う気がします。一体何が違うのかと言うと、おそらく個人のイメージが薄いのです。

 プロフェッショナルは、その個人が持つ特性に対して「専門家」と位置付けるのではなく、弁護士なら弁護士、医師なら医師と言う専門家集団のイメージに対して位置付けられる言葉だと私は理解しています。プロフェッショナルとスペシャリスト、あるいはエキスパートと大きく異なる際たる部分は、「プロフェッショナル」はそれが仕事であるということです。もちろんスペシャリストもその突出した技能を生かして仕事として生計を立てている人たちは少なくありません。しかしながら、プロフェッショナルはまずそのプロフェッショナルとしてのラベルが「専門職」として社会的ににんちされており、仕事になっているところが大きな特徴です。すなわち、弁護士はもう「弁護士」という仕事に着いた時点で、その人個人の能力の高低にかかわらずプロフェッショナルとして社会から認識されるのです。これはどういうことを示しているのかと言うと、プロフェッショナルは、そのプロとしての要件を満たすためのラベルが明確に存在していて、そのラベルを背負っている人間は社会と契約を結んでいるということなのです。逆に言うのなら、あるプロフェッショナルとして位置付けられている職業なり役職についている個人は、その個人の覚悟や能力にかかわらず、社会に対して責任を負っていると言うことになります。ここは、他者あるいは社会との関係性から独立している「エキスパート」や、個人と他者あるいは集団の期待と応召の関係性の中で位置付けられる「スペシャリスト」とは大きく異なる部分です。プロフェッショナルのラベルを持った上で、その集団の中に属する個人は、社会との契約から独立することを自分で決めることはできないのです。だからこそ、プロフェッショナルにはそれだけで義務が発生するのです。そして、プロフェッショナルがスペシャリストやエキスパートと最も大きく異なるのは、後者2者が「自分の能力がまずありきで、能力を持つ自分をその枠組みに合わせて行く」ことに対し、プロフェッショナルは「まず枠組みありきで、それに自分を合わせるべく能力を獲得する」ということです。

話が長くなったので、では、我が国においてどうしてこの3者があまり区別されずに単語として用いられるのかについては別途考えてみます。

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