練馬紀行

五月四日。
本日はゴールデンウィークほとんど唯一のイベント、親戚の飲み会開催日である。バーベキューと聞いていたので晴れていることにまずほっとする。
父と母がスーパーへ買い出しに行っていたことも知らず悠々自適に十時起床した私は、起床三十分で父の運転する車に揺られていた。
車中することもなく音楽を聴く。何らかの作品を携帯に取り込んでおくべきだったと後悔しながら、時たま父母と会話を交わす。
「ビッテちゃんは免許取らないの?」
運転しながら父が尋ねてくる。
「この子ね、免許は取っておきたいけど運転したくないんだって」
「何で」
「動体視力と運動神経と瞬発力がないから無理」
運動神経を根こそぎ妹に持っていかれた娘、有り体に答える。
「とろい人間が運転していたら他のドライバーにどやされそうだし……」
「父が普段ちょっとでも運転下手な人間を罵倒しまくってるからじゃない?」
「そんな理由で運転を敬遠されるとは……」
父が苦笑する。と、隣の車が前に割り込んできた。
「サンデードライバーか!? 殺すぞ!!」
娘の免許取得の話をしてから一分、即オチ二コマの圧倒的な説得力がある。
そうこうしているうちに親戚宅へ到着した。四家族が集まる母方の親戚の飲み会、合法的に酒が飲めるようになってから参加するのは初めてだ。あまり自覚していなかったが、多少なりとも緊張しているようである。
何しろこの親戚、五十歳を過ぎた今でも平気で一人二本はワインを空けるような酒飲みの集まり、それも「最近誰も死なないから強制的な飲み会が発生しなくて寂しい。誰か近日中に死ぬ予定の奴はいないのか」とほざくおっさんに誰も「不謹慎」の突っ込みを入れないような家系である(ちなみにその数年後、当の本人の死によって飲み会は実現した)。酒の強要をしないくらいしか見所がない。
「やっほー」
軽く挨拶をして、室内で準備を進めていた女性陣へ母と共に混ざる。叔母四人の指示に沿って、中庭付近の窓とキッチンの間を往復する。
「あ、そういえばこれ」
眼科勤務の母が持参したまつ毛美容液を叔母の一人に渡す。
「ありがとう~これすごく効くんだよなぁ」
そう言う叔母のまつ毛は既にバッサバサである。どこまでが人工物か正直よく分からないまつ毛、安心と信頼の実績。
「今日夏美(仮名)や海(仮名)とかは?」
いつもは揃っている私と同世代の人間がこの場に一人もいないので尋ねてみる。
「皆バイト入っちゃったらしくていないのよね~」
つまり私は50のおっさん四人に囲まれて酒を飲むしかない、と。到着早々クライマックスである。
キッチンで次に運ぶ料理の仕上がりを待っていると、中庭で準備をしていた男性陣の一人から室内へ声がかかった。
「おい、そこの女子高生! イス取ってくれ!」
確認するがバーベキューの下ごしらえをしていたのは叔母四人と母、私である。女子高生は存在しない。
「女子高生? 私か?」
まつ毛美容液の叔母が声を上げる。概念上の女子高生はその場にいたらしい。
「この場合一番女子高生っぽいのは美容液だよね~」
唯一の現役女子大生を差し置いて満場一致のJK判定。勝敗を分けたのはまつ毛か。まつ毛への美意識なのか。
「もう料理こっちで運べるからビッテちゃんは外出ちゃって良いよ~」
叔母の声にありがたく外へ出る。バーベキューの準備は既に整っているようだった。おっさん達も既にアルコールで整っている。
「もう飲める歳だろ? 飲め飲め」
下ごしらえを終えて続々と出てきた叔母たちも一緒に酒を支給される。机の上に並んだ種々の食材に叔母たちが歓声を上げ、パシャパシャと長々写真を撮っている。女子高生の集まり(概念)である。
肉やホタテを焼いてビールやスパークリングワインを飲みつつ、近況報告を交わす。
「留学どうだった? ドイツ語ペラペラだろ?」
「ネイティブの同士の会話は早過ぎて聞き取れないままに終わったよ。ドイツ語も英語交じりに単語レベルで特攻! って感じだし」
苦笑しつつドイツ土産の特産品、フランケンワインを持ってくる。二本用意したうち一本は、実は成城石井で購入した輸入のフランケンワインである。
「こっちの方が高いワイン」
ドイツ購入のワインをまず先に飲ませる。
「おー。うまいな」
ドイツのだしで煮込んだ芋とソーセージをつまみに勧める。
「で、こっちは葡萄の種類が違うからね」
「おー、こっちの方が安いのか? うまいな……。で、どっちのが高いんだっけ?」
飲ませ甲斐のないおっさん達である。
還暦の話になる。今年58になるおっさんの還暦は数えなのか否か、どのように祝うのか。
「おいそこの若者、調べてくれ。俺たちは……もう老人だから」
前日深夜までドバイに行っており、進行形でエコノミー症候群に苦しむおっさんの発する自称老人、老人なのかよく分からない。
「えーと、「還暦祝いとは」:満60歳を祝う祭典の一つで生まれた年の干支に還ることから「還暦」と呼ばれるようになりました。赤いちゃんちゃんこの風習があり赤が長寿祝いの色と……」
「おっ、頭良いなお前! でも喋るの早いなぁ~」
オタクの傾向を指摘しないで。
「頭良い奴は話すの早いんだよな。もう少しゆっくり話してくれ」
頭が良いのはグーグルであって私じゃねえ! 私がオタクであることを突き詰めるな!
「その赤いちゃんちゃんこってのはどこに由来するの?」
早口のオタクにならないよう気を付けて読み上げる。
「一巡して生まれた年と同じ干支に戻るから、赤ちゃんに戻る→赤ちゃん→赤いちゃんちゃんこ、らしいよ」
「は? エコノミー症候群、赤ちゃんに戻るの? おっさんでもこんなに迷惑なのに?」
親戚内で一番迷惑なおっさんたるエコノミー症候群にブーイングと笑いの嵐が巻き起こる。
開始数時間、場が暖まりきった辺りで酒が切れ始めた。
「誰か手すきの人間いない?」
「買ってこようか?」
私が名乗りを上げると、小学生と中学生、バイトを終えた大学生がついてきた。と思ったら、でかいおっさんも背後に続いている。
「寒くない? ねえ寒くない?」
吹きすさぶ風のなか、「寒い」しか発さない半袖短パンのおっさん。
徒歩五分のスーパーに到着し、未成年たちが菓子を選びに行ったのを横目にでかいおっさんと酒を選ぶ。
「ビール欲しいって言ってたよね」
「六本だよな? これで良いだろ!」
ヱビスのロング缶を一気に五本引き寄せるおっさん。二段下の陳列棚に目をやる。
「ケースで買えば良いのでは?」
「……お前は……そういうこと言うからな……」
ふて腐れる酔っ払い。
気を取り直して焼酎やワインの棚に向き直る。
「来る前に他の人達に聞いたら、何でも良いから焼酎って言われたけどどの辺買うのが良いのかね」
「これだよ!」
即答でいいちこを二瓶カゴに突っ込むおっさん(でかい)。
「あと俺はこれが飲みたい」
いいちこより明らかに良質なワイン二本も買ってんじゃねえ!
会計を終え、出入り口付近で待っていたおっさんや中学生と合流する。
「さむっ……超寒くない?」
帰路も「寒い」しか発さないおっさん。私にいいちこ二瓶とビール三缶持たせてお前は何しに来たんだ。
帰宅するともう外が暗くなりかけていた。さすがにバーベキューはお開きとなっていたらしく、飲み会が室内へ移行していた。
「お前さっきまでモヒートとワイン飲みまくってたのに買い出しとか行けたのか? 飲めるなぁ! ちょっと隣座れ」
どうやらエコノミー症候群にひどく気に入られてしまったらしい。酒が飲めるというだけで姪を気に入るなおっさん。
「だろ? 俺の娘は酒飲めるんだよ」
お前もかブルータス!
エコノミー症候群の左隣に座る父に叫びたいのを堪える。幼少期からこんな環境で培養されたせいで、公園でスト缶空けるような酒に躊躇のない女が出来上がったんだぞ。
促されるままエコノミー症候群の右隣に腰かける。
「え? 何だよお前酒持ってねえのかよ~。取ってこい!」
買い出し直後に即刻座らせた人間が横暴である。
その辺にある酒で良いや、と棚から適当にグラスを取っていいちこのロックを用意する。
「あ! パンティーグラス使え、パンティーグラス!」
は? 何て言った?
戯言として聞き流し、普通のグラスで用意して戻る。
「何だよお前、パンティーグラス使わなかったのかよ~」
パンティーグラスが何なんだよ。
「仕方ねぇな、俺が用意してやるから待ってろ」
千鳥足でキッチンへと向かうおっさん(エコノミー症候群発症中)。
「オジサン頑張っちゃうぞ~」
水洗いを頑張るおっさん。無の感情が生成される。
「ほい、これ使え」
渡されたのはロックグラスである。これの何がパンティー……あ。底の部分がパンティー。正面に赤いリボンのついたパンティーなのだ。
女子大生にこれを渡すのはセクハラじゃないのか? と思いつつ、いいちこをパンティーグラスに空ける。
「セクハラじゃない?」
一応指摘してみる。
「うるせえ! 俺は山口メンバーになりたいんだ!」
紛うことなく底意がセクハラである。メンバーになるな。
「しかしお前は良いな。まず大学がクレイジーだもんな」
数百人を一気にクレイジーに振り切った雑な判定を頂戴した。
「良く考えてみろ? 大学の周りの人間、皆クレイジーだろ?」
「いや……。クレイジーしかいない場、クレイジーが標準装備になるからその段階が正常として扱われているのでは?」
「そういうこと言っちゃう~? 理屈っぽいの良いけどな」
「お前、俺の目の前で娘を口説くな!」
面倒くさいのがもう一匹増えた。
既婚妻子持ち(58)に口説かれて実の父親に止められる、私は前世で一体何をしたんだ。
「うるさいなぁハゲ。俺は今お前の娘と話してるんだ、邪魔するな」
人の父親を流れるようにハゲ呼ばわりするな。
「いやまあ確かに? 俺が一番ラブリーなのは娘と嫁なんだけどな?」
酔っ払い特有の文脈すっ飛ばしである。社会人になった娘とサシ飲みした話をえらく嬉しそうに聞かされる。
「でな? 日付超えて帰りにタクシー降りようとしたらあいつ、『私これから行くところあるから!』って言ったから『おう、じゃあな!』って送り出したんだ。そしたら」
いいちこを呷る。既に泥酔しているのに異常なペースで飲む。
「嫁に怒られた。『こんな時間から行くところなんてある訳ないでしょ!』って。いやぁ、昔は女によくそういうこと言われたからそのノリで送り出したんだけどさ、あいつ、俺の女じゃなかったんだよな……あいつは娘だから俺の女にはならない……彼氏許さねえ……」
おいおい泣きだすおっさん。そだねー。
「お前俺の娘口説いてるんじゃねえよ!」
ハゲ、今はそういう話ししてるんじゃないから。
「いやぁでも、俺の話を相槌打って聞いていられる人間だからお前はクレイジー」
ひたすら絡んできた挙句この言いぐさである。私を狂った人間にするその執念は何処から来ているんだ。
「じゃあお前な、ハゲと俺、どっちが本当の親父だったら嬉しい?」
意味が分からない。そもそもお前を選んだ場合どうなるのか。父親が変わるのか。変わったところで泥酔したおっさんが泥酔したおっさんになるだけである。
しかし寓話に基づいて考えると謙虚にどちらも選ばなかった場合、泥酔したおっさんがどこからともなく現れて三人の泥酔したおっさんが父親になるのかもしれない。地獄である。
「お前な、俺の目の前で娘を口説くな!」
泥酔した本当の父親(半ハゲ)はもはやそれしか言わない。しょっぱい場がさらにしょっぱくなるからもう黙っててくれ。
「ビッテちゃん、今日俺はもう帰らない」
父親が不明瞭なことを言い出した。
今夜はもう帰りたくないな……、女子大生か。
「言われたんだ、『お前最近酒飲まないからつまらないな』って。だから今日俺は帰らない。俺はな、何事であろうと負けるのが嫌いなんだ」
泥酔して破綻した持論をぶちまける父。ここに残ったからといって勝ったことにはならない、気付いてほしい。試合に勝って勝負に負けている。
「いいから帰るよ! 後悔するからやめとけ!」
母と私で何とか諫め、車へ乗せる。受験生のため家へ残してきた妹へ連絡を取る。
『遅くなるから先に寝てていいよ』
『私が塾に行ってる間、留守番してた犬がトイレシート食べたらしくてずっと吐いてる。寝れない』
犬、トイレシートを食うな!

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?