2001年から2009年まで山口市の創業比率が高かった理由は。② 山口県と山口大学が開講したV-スクール
2004年~2006年の山口市の創業比率が高かったのは、遡ると1990年代の山口県の施策があったからでした。
1997年にスタートしたベンチャースクール。
山口県と山口大学が連携して、ベンチャースクールを1997年に開校しました。官学が連携してのベンチャースクールは全国初の試みでした。
1990年代の山口県内は異業種交流会が盛んでした。また、インターネットが使われ始めたこともあり、既存の企業が新たな事業展開を模索していた頃でもあり、異業種同士の連携も活発に成り始め、今で言うイノベーションも起きやすい環境が生まれ始めていました。官学でのベンチャースクールが開校したのも、このような背景があったからだと思います。
1998年に、自らが起業家になる。
ベンチャースクール受講後に友人達とITベンチャー企業を設立しました。
タイミング的に、ベンチャースクール卒業と同時での起業だったので、第1期生の起業という話題性をいただいたことで、マスコミや山口県、そして山口大学との関係も生まれました。
一緒に勉強した学生達も優秀でしたし、社会人たちも行動的な方も多く、スクール卒業だけではもったいないので、私が事務局をつとめる形で、当時、フリーランスの形態で流行していたSOHOを活用して、山口SOHOの会をVスクール卒業生と山口大学内に立ち上げて、フォーラムなどの開催をしていきました。
国家戦略的にITの取組みが活発でもあったので、Vスクールを受講した学生達は、プログラム開発の能力が高く、インターシップとして会社を手伝ってもらったり、開発者としてアプリやホームページの開発をしてもらいました。
V-スクールは継続して行われて、2期生、3期生と卒業生も輩出されました。また、経済学部でのベンチャービジネス論も講師陣とも充実していきました。学生達も民間からビジネスの指導を受ける機会も増えたことから、モチベーションも上がっていることを実感しました。現代風に表現すると「社会起業家」も生まれていました。私は、メンターとして学生達と接していました。
山口県や山口大学からV-スクールの卒業生として講演をしてほしい、マスメディアの取材を受けて欲しいという依頼に対しても快く承諾して、対応しました。マスメディアの露出や講演で登壇する機会を増やして、山口県内の方に、起業に対するイメージを変えていくこと、そして起業の仲間を増やしていきたいと考えての行動でした。
山口市でも起業支援やIT化支援の検討が始まります。
山口県と山口大学でのベンチャー支援、IT化支援が活発になり、私が携わっていく中で、山口市からも総合計画の策定や情報化計画の策定に絡んで委員就任の相談があり、ITベンチャー企業の経営者として委員の就任を承諾しました。
山口市の施策は、山口県庁、山口大学との施策連携も必要だったので、施策を利用した当事者として、一番の人選となったのだと思います。
継続した起業家支援の取組みと、デジタル系事業者や起業家のヒューマンネットワークの形成を提案していきました。
また、新規の起業家にはなかなか仕事が作れませんので、既存の企業との連携をはかることで仕事を発生させる仕組みを提案していきました。
これらを実現する為に山口市では産業コーディネーター設置へと結びつきました。
山口市の創業比率が高い2004年~2006年の実績は、該当する年の活動だけでなく、10年前からの取組みがあったからだと言えます。それ故に、創業を育む基盤が構築された山口市になりました。
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