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「よろしく頼む」

 隆とは大学でしりあった。長身のイケメン。共通の友人であるミナコが隆のことをそうひやかしていたけど、隆はそれに照れることも謙遜することももちろん嫌がることもなく、そうした評価を当然のように受けとめながら、その反面気にも留めないような態度で流していた。
 お前、彼女いたことある?
 当時ひとりもつきあったことがなかった俺は隆にそう質問した。隆は泰然とした態度で、「ある」とだけ答えた。俺は隣ですげーっと声をあげた。ミナコがひややかな目で俺を見下し、ばっかじゃないの、といった。事実、俺は大学内いちのばかで通っていた。
 俺らの大学の近くには並木道があった。
 二回目の春、さくらがあまりにもきれいだったので、隣に歩いていたミナコに好きだ、ととうとつに告白した。ミナコはつん、とした態度でばーか、といった。ミナコは雪のように舞うはなびらを、手でつかむふりをして、私は隆のほうがいい、といった。俺は黙った。とうぜんだ、と思ったからだった。
 それから半月が経って、隆とミナコがつきあうようになった。俺はふてくされた。ふてくされて、講義をいくつか休み、ひとり暮らしのアパートに引きこもって映画を何本もみていた。隆がなぜだか心配して、俺のアパートを訪れにきたことがあった。ドアをあけたら、隆が端正な顔をちょっと気まずそうに固くさせて、俺のことをみていた。よう、と隆はいった。そのままドアを閉めてもよかったけど、コンビニの袋をぶらさげている隆の姿は、どこかかわいそうに思えた。
「なにみてんの」
「洋画とか。アクションもの」
「おもしろい?」
「ふつー。だんだんどれも同じように感じる」
 そっか、といって隆は薄手のコートをフローリングの上に置いて、正座した。なぜそこで正座? 俺が聞くと、他人の部屋ってどうもおちつかない、といった。
 隆は俺にでかいプッチンプリンを買ってきてくれていた。自分にはでかいコーヒーゼリー。エアコンの暖房を少しかけて、ふたりで向かいあって食べた。隆は食べ終わると、やっと落ち着いたのか足を崩して、あぐらをかいた。そして部屋を見渡す。隆の視線の先にあったのは、俺がひいきにしているアイドルのポスターと、富士山の写真。なんでこのとりあわせなんだ? と隆は聞いた。俺にもわからなかったので、好きなのを飾ったらこうなったと話した。ふうん、と隆はうなずき、そして「俺の部屋にはナポレオンの絵があるのよ」と聞いてもいないのに話した。ナポレオンが白馬に乗っている、あの有名な絵がね、あるのよ。隆はこころなしか楽しそうにそう話した。へー、と俺はなんの感動もなしに相づち。ナポレオン、俺好きでさ。自伝とか、けっこう読んだわ。
 へー、と俺は相変わらずの感動のない相づち。
「浩太はミナコのことが好きだったって聞いたけど」
 ナポレオンの話はいつの間にか終わったらしく、隆は俺に新たに向き直って、たぶんそれが本題と思われることを聞いた。
「もしかして、大学こないのそのせい?」
 隆と俺はしばらくみつめあった。そらしたのは俺が先。もしかして、じゃないだろ。ずばりそれだろ。俺はいらいらして、煙草を探した。煙草は、DVDの下に埋もれてあって、それをつかむと今度はライターを探した。気がついた隆は、スキニーパンツのポケットからライターをとりだして、それを俺に渡した。俺は、ありがとう、といってやらなかった。それが、俺のプライドだった。
「もしかしてミナコとつきあっていること、浩太は怒っている?」
 俺はいらいらした。パチっと火をつけて煙草の先端をそれにあてる。煙草を吸うと、いらいらが何段階か落ち着いた。それでもふたたび隆の顔をみると、何段階か落ち着いたいらいらが、何段階か増していらいらするようになった。俺は隆の顔をみないで「俺はそんな子供じゃない」と見栄をはった。
「ほんとか」
 隆は信じたいような、でもそれじゃあ納得いかないといったような声できいた。俺は隆に背を向けて、煙草をすぱすぱと黙って吸っていた。
「そうだよな、そんなことで怒るような浩太じゃないよな」
 これも、半信半疑みたいな声だった。実際、俺は「そんなこと」で怒る浩太なのだ。なんだか侮辱されているような、感じがした。
「俺さ」と、隆はしたを向いてくぐもった声で話しだした。
 俺さ、ミナコと別れて留学しにいこうかなって思っているんだ。
 隆に背を向けていた俺は、首だけ隆のほうに向けた。隆はまったくもって端正な顔を崩さず、「こういうの、自分勝手かな」と俺に聞いてきた。別に。隆のやりたいようにすればいいんじゃないの。ミナコはミナコでどうにかやるだろ。俺はつぎつぎに無責任な言葉を投げかけた。その言葉を聞いて、隆はほっとした表情をした。本題は、もしかしたらこっちだったのか、と俺は思った。
 ミナコはどうなるんだ。ほんとうは、俺の心配はそこだった。隆と別れたミナコは、俺のもとにくるだろうか。慰めてやったら、俺になびくだろうか。でも、そんな簡単な女なのだろうか。そうやって、俺は鈍い頭で計算をした。
 隆はふたたび、正座をした。
 そして、頭を深くおろして床につけた。
 浩太、どうかミナコのことをよろしく頼む。
 俺はうろたえた。心のなかで。泰然とした態度を装っていたけど、内心ではどうしよう、と思っていた。
 隆の代わりなんて、ミナコは必要としていない。
 そのことだけは直感と数年のつきあいでなんとなくわかってしまった。
 
 隆は数ヶ月後、ミナコを振って、シンガポールに旅立った。
 俺とミナコは空港で隆を見送った。ミナコは泣かなかった。泣かなかったし、隆のことをもう一度、引き留めることもしなかった。ふつうの日常と変わらない日。そんなふうにミナコはいった。見栄っぱり、と俺がいうと、ミナコは「浩太のばーか」といって、俺の足を踏んだ。
 ばーか、なんだよ俺は。
 そうひとりつぶやき、俺はミナコの後ろを追いかけていった。

                       (了)

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