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戸塚ヨットスクールで思い出すこと

最近また戸塚ヨットスクールが話題になっています。

今日はその教育方針や体罰の是非がメインではなく
戸塚ヨットスクールから思い出される
私の幼少期の話しをしたいと思います。

あれは確か私がまだ小学校の低学年だった頃。

小さな時は何もわからず
後に振り返って理解出来た事ですが
私の父は私の教育や家庭にはあまり興味の無い人でした。

それを補おうと母親も必死だったのでしょう。

いたずら好きで勉強をしない私に母は
当時、そのスパルタ教育で有名な戸塚ヨットスクールに私を入学させるという“脅し”?をかけて
私の問題行動を抑制してきました。

脅しは言い過ぎかな…
でも適当な言葉が見つからないのです。

抑止?戒め?
何か良い表現があれば教えてください。

そんなある日
理由は忘れましたが
私に怒った母親が
「戸塚ヨットスクールの人を呼んでくる」と言い
マンションを出ていってしまったのです。

しばらくするとマンションのインターホンが鳴り
低い声で「戸塚ヨットスクールから君を迎えに来たよ」と言う言葉が聞こえて来て
私は恐怖で失禁してしまったのです。

覗き穴から見えるガチャガチャとドアを開けようとする戸塚ヨットスクールを名乗る人間の人影。

足は震えて「連れ去られて殺されるんだ」という恐怖に鳴き叫び
五階のベランダから飛び降りようとして手すりの外にまで出ました。

慌てて母親と叔母が入って来て私の手を掴みベランダの中に戻され
その後数時間、母親の膝の上で震えていました。

中学生になる頃には思考力も成長し
記憶を辿ればそれが母親の一人芝居(自作自演)だと言う事が段々とわかってきます。

「全て私がワガママだったのが悪い」とキレイ事を言うのは簡単ですが
この時の母親の判断はやはり間違いだったと思います。

でも同時に私も悪かったし
父親もあまり家にいなくて私をどう教育して良いのか迷っていて不安もあったのだと今は思いますが
中学に上がる頃にはこの《幼い私に死を覚悟させた派母親の行動》が許せず
毎週のように家中を破壊していました。

家の壁もソファもガラスも
何もかもがボロボロで
私は生傷だらけ。

それから私が高校に上がるまでは
我が家は本当に暗い谷を歩いていたような家庭状況で
今思い出しても全てが手詰まりで
未来は真っ暗闇にしか見えませんでした。

何故こんな話しを書いたかと言うと
あの時期を忘れない為です。

母親はあの時に間違いこそ犯しましたが
一時も変わらず
私をずっと本当に大切に
1番に考えてくれていました。

間違えすらも
私を思ってのことですし。

だから私も道を踏み外すことなく
今日まで生きてこれています。

今年の3/14で母親は90歳になります。
もう一緒にいられる時間はあと僅か。

孫は見せられなかったけど
歌だったり
格闘技だったりで
輝いている姿も何度かは見せられたし
欲を言えば最後は経済的に安定した姿を見せてあげたいなと思っています。

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