19.9.26「プロスポーツ選手のサイン」が本来持つ価値とは何か

こんばんは伴です。

日本は多くのプロスポーツが存在しています。比較的古くあるもので言えば野球、次いでサッカー、最近ではバスケや卓球など。

興行として成立させるためにはファンを大切にすることはマストなので、試合終了後に選手がお見送りをしたり、スタジアムや球場のネット際で即興のサイン会が開かれていることもあります。

そしてここ数年はネット環境の浸透により、フリマ系アプリのユーザーが明らかに増加しています。

メルカリもヤフオクもアプリダウンロード数が1000万以上ということで、重複して利用しているユーザーがほとんどだとしても日本人の10人に一人がアプリを持っているという計算になります。


このネットフリマを使ってスポーツ選手のサインを売買していることがあります。

以前に比べれば出品数が減っているようですが、少し検索したらいくらでも出てくるのが現状です。


ではなぜサイン色紙にそれだけの価値が生まれるのでしょうか。

冷静に考えればサインはただの署名(もしくは簡単な落書き)
以前はファンやサポーターと選手の接点が少なかった(希少価値)
他人が持っていないモノを所持している(優越感)
生で会ってきたという証明書のかわりになっていた
以前ほどの希少価値がない中で直筆サインが持つ価値とは

冷静に考えればサインはただの署名(もしくは簡単な落書き)


さて、そもそもの話ですが、本来サインは「選手がただ名前やイラストを書いただけ」のものです。昔は(もしくは今でも)それに大金を払うコレクターが存在し、数多くのサインを所持している人もいたようです。
そのお金を払ってでも欲しくなる要因は何か考えてみます。


以前はファンやサポーターと選手の接点が少なかった(希少価値)


恐らくですが、以前はファンサービスに消極的だった団体が多く、ただ試合を見せるだけのところが大半だったはずです。そのため、選手との接点が持ちにくくサインを貰えること自体が希少価値を生み、コレクターの間では高値で取引されていた理由の一つになるでしょう。

他人が持っていないモノを所持している(優越感)


となると、やはり人は持ってない人よりも優越感を覚える傾向にあるためより珍しいモノ、つまりあまりサインを書かない有名どころの選手が書くサインに大金を支払ってでも手に入れようとします。

生で会ってきたという証明書のかわりになる


それ以外の要因として、サインを書いてもらうことで「選手と直接会ってきて、自分がお願いをしてサインを貰った」という証明が残ります。

なので友人や知人に話す時に土産話として信用度が高まります。


以前ほどの希少価値がない中で直筆サインが持つ価値とは


これは個人的な考えを述べると「その日の出来事を思い出すカギ」の役割をしているのではないかと考えています。

その日の試合内容や、選手に声をかけるときにどれだけ緊張したか、宿泊を伴う試合観戦であれば宿泊先の食事や移動時間の他愛もない話、当日までの準備にかかる買い物や日程の調整にかけた苦労など。

それら全てがその一枚のサインに凝縮されている状態として保存されます。

なので、本来サインというものはその文字やイラストに価値があるのではなく、そのサインを手に入れるまでの過程に価値があるのではないでしょうか。


だから基本的にはネットなどで転売できるようなモノではありません。転売されているサインには感情が動かされる何かが存在しないからです。

自分の思い出が数千円から1万円程度のお金で売れるならそれも引き止めませんが、いつでもそれを見れば思い出せるような大事なモノを売ってしまうのはなんだか寂しい気もします。


ちなみに僕も球場やイベント先でサインを書いてきましたが、SNSなどで「今でも持っていますよ」や「あの時のサインが薄くなってきて寂しい」という意見を聞くとその人の思い出に貢献できているようでうれしく感じます。

その日その選手がプレーしているのは当たり前のことではありません。翌日に現役復帰不可能なアクシデントに見舞われる可能性もあります。
どうかその思い出は大事にしてください。

皆様のお気持ちを少しだけ。