見出し画像

資本主義と広告とスマホ

時々、癒されたいと思うことがある。

で、どこかに行こうかと思ったら、行き先は自然の多い所になる。

なぜ、自然の多い所に行くと癒される(そんな気になる)のかと考えてみた。

私は、現在、東京に住んでいるので、都会と田舎の対比とでも言えるだろうか。

都会と田舎の違いは、

・人が少ない
・自然がある
・人工的な音がしない

で、最も大きな違いは、「広告が少ない」ということだろう。

多分、私たちが癒されたと思う場所には、広告が少ない。パワースポットと呼ばれる場所に行って、通販の広告看板があれば、そこで癒されることはないだろう。

広告とは、資本主義の根幹を成すもので、広告なしで資本主義はあり得ない。ドイツの哲学者であるマルクス・ガブリエルも東京の風景と広告について話している。

広告は資本主義らしく、人を混乱させる。

美味しそうなスイーツの広告の隣に、血糖値の下がるサプリメントの広告がある。人はスイーツを食べて、サプリメントを買う。まさに、広告によって欲望を操作されている状態で、こうした事態は資本主義社会でしか起こらない無秩序な混乱だ。

私たちの癒しとは、広告からの逃避であり、それは資本主義からの逃避でもある。

無料で使えるものは広告に支えられている。
安価なものも広告で収益を得ている。

新聞から広告をなくせば、今の料金は成立しない。
Googleやfacebookから広告をなくせば、無料で使うことができない。

便利さと引き換えに広告を見させられ、私たちは広告から逃れるために、遠くに行く。しかし、昨今は広告から逃れるのが難しくなっている。

それは、スマートフォンを持ち歩くからだ。広告のない場所に行っても、広告は私たちを追いかけてくる。

スマホは情報を入手しているように見えて、ほとんどが広告に溢れている。広告から逃れる方法は、SNSに没頭することのようだが、タイムラインの個人投稿にも広告が潜んでいる。

スマホとは、資本主義を資本主義たらしめるツールなのだ。

ここから逃げるためには、デジタルデトックスだと言われるのだけど、数日間スマホから離れたところで、使い始めれば、即座にリバウンドする。また、スマホがないと不便だし、情報が入ってこない。つまり、資本主義で資本を得るための活動ができないということだ。

スマホに取り込まれているのは仕方がない。抵抗するだけ無駄だ。この逃れられない資本主義で、資本を獲得し、広告に振り回されない方法はひとつ。

スマホを使う側から使わせる側にシフトすることだ。

ゲームはする人よりも作る人が資本を獲得する。この原理から言えば、情報を入手している人よりも戦略的な配信をしている人が資本を獲得しやすいことはわかるだろう。

そこに気づけば、結婚記念日に「旦那に感謝」というような、試験前の一夜漬け勉強のような投稿はあまり意味がない。多分、SNSに投稿する時間なんて使わずに、夫婦で会話を楽しんでいる夫婦の方が幸せだろう。

もし、資本を獲得しない承認を目的にするなら、プライベートな投稿をすればいいと思うのだけど、SNSで稼ぎたいと思うなら、結婚記念日に自分の投稿をするよりも、投稿している人にコメントをする。そして、「結婚記念日にこんなプレゼントがあるよ」と教えて、その商品をアフィリエイトする(笑)

何とも姑息な話をしているようだが、これが実態で、今後、スマホを通じて、広告らしくない広告がどんどん現れる。それが資本主義の次のステージだと思う。

その最強のツールであるスマホに使われるほど、資本主義の闇に絡め取られることになる。

資本家にとって、スマホは使わせるものなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?