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深遠な哲学は、セールスどころか、マーケティングすら不要にする

世の中には、「セールス哲学」というものがある。哲学をセールスに繋げるような講座もあるようだ。

こうした話は、セールスに心血を注いできた人の人生観から生まれたものだと思うし、修練なさっていることには頭が下がる。

ビジネスにおいてセールスは重要だ。実際、私もコンサルタントとして、セールスの支援を行なっている。

しかし、セールスよりも重要なことは哲学だと、改めて思うことがある。

哲学はセールスを不要にする。

これは、私が親しくさせてもらっている友人(女性)の話だ。

その人は、地方の小さな町で、自分の哲学を発見した。以来、自宅でその哲学をほんの数人に伝え始めた。彼女の哲学に触れた人が、その哲学を広げ、彼女のセミナーを開催し始めた。開催希望者はどんどん増えて、全国でセミナーを開催するようになった。

その後、心理学の専門家が彼女の哲学のアンバサダーとなり、哲学の次元が上昇し始める。

彼女の哲学は、書籍編集を仕事にするよき理解者に恵まれ、書籍化された。書籍はベストセラーになり、その哲学は流行語大賞にもノミネートされた。その後、インターネットマーケティングを得意とする事業家が彼女の支援を申し出て、さらに彼女の哲学は広がった。

インターネットの情報は海を越える。海外からオファーが届き、彼女の哲学は海を越える。中国、アメリカで支援者が現れ、中国では書籍販売が200万部を突破した。

もちろん、その間、彼女はセールスをしていない。

彼女の哲学を広げたいという人がどんどん現れ、人々が進んで彼女の哲学を広げた。各界の識者も彼女の哲学を支持した。

友人で、仕事を頼まれることもあるので、こっそりと教えると、哲学はお金をも引き寄せるようだ。

・どんどん取材が入る←自分の哲学を語る

・書籍化のオファーが来る←ここはがんばって書く

・世界中から翻訳のオファーが来る←とりあえずOKを出す(書類にハンコを押すだけ)

・翻訳は各国の出版社が行う←特に彼女のすることはない。

・ベストセラーになる←特に彼女のすることはない。サイン会で何百人にサインをするけど。

この間も、セールスどころか、値段交渉もしていない。

セミナーや講演会に引っ張りだこになる←忙しすぎるので、申し訳なさげに講演料を値上げすると、もっと依頼が多くなった。かつ、「そんなに安くていいんですか?」なんて話もある。

こうして、さらに、メディアに伝播し、取材が取材を呼び、知名度は広がり、哲学を伝える機会は爆発的に増える。

呼ばれるがまま、オファーがあるがまま、哲学を伝えていると、国内海外から印税がどんどん振り込まれる。セミナーは満席で、DVDやデジタルコンテンツを買いたい人が殺到する。

その間、彼女はセールスをするどころか、請求書も領収書も発行したことがない。通帳にいくら入金されているのかも知らず、何かに導かれていくように哲学を伝えるほど、残高は増えていく。

ぶっちゃけ、彼女は存在しているだけで、通帳残高が増える。寝ている間にすら、海外からのオファーが届き、休みの日でも、本は売れて、印税を積み上がる。デジタルコンテンツは、彼女の分身のように哲学を広げるので、各地に出向いていた時代よりも、お金の流れは爆発的に加速している。

面白いもので、彼女のご主人も息子さんも、たぶん、彼女の収入を知らない。家族ごとお金に執着がなさそうだ(笑)

なぜ、こうしたことが起こるのか?

コンサルタントの視点から、合理的な説明をできないではないが、あまり意味がないかもしれない。再現性が薄いからだ。哲学はノウハウではない。

もし、彼女のような人生を歩みたいと思うなら、自身の哲学を育むことしかないだろう。

ドラッカーは、「マーケティングはセールスを不要にする」と言った。それどころか、哲学はマーケティングをも不要にするのかもしれない。

「セールス」「コンテンツ」「マーケティング」のどれが大切なのかという議論がある。考え方はそれぞれだけど、セールス力があれば、粗悪品でも売れるという話には賛同しない。昔、「売れる営業マンなら、木の枝でも高額で売れる」という人がいたのだけど、それって、詐欺ではないか?と反論して以来、会ったこともない(笑)。同じ人に2本目の枝を売ることはおそらくできないからだ。

セールス力があればコンテンツが普通でも売れるというのは事実ではあるけど、顧客と長い信頼関係を考えれば、そんな考えは絶対に通用しない。

では、再び、「セールス」「コンテンツ」「マーケティング」のどれが大切なのか?

この問いはナンセンスで、その上に哲学というものがあったことを、私は一人の女性から学んだ。

哲学をコンテンツとは呼びたくはないのは個人的流儀だ。

哲学はノウハウではないとも思う。

学ぶものでもない。探求するものだ。

深淵で優れた哲学は、人をより良き人生を歩むために思考する世界に導く。

もし、彼女ほど、深く自身の哲学を愛し、育むことができれば、彼女のような人生を歩むことができるかもしれない。

ただひとつ思うのは、「彼女のように」と思った瞬間に、自身の哲学を見失っているかもしれない。

以前、哲学で飯は食えないというような話をしたことがある。


しかし、私が目撃したのは、ひとりの人間が生み出した哲学に、人もお金を吸い寄せられるように集まるという事実だ。

深遠な哲学とは、そういうものかも知れない。

哲学とは、人を良き方向に導く思想である。多くの人を良き方向に導くほど、その流れは強大なものになる。

今日も、多くの人が、彼女の哲学を礎に、自らの人生に向き合っている。

言えることは、人類に偉大な哲学をオファー(提供)した人は、爆発的な流れに乗って上昇するということだ。セールスが人の手によるものなら、哲学は神の誘いかもしれない。


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