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どこにも桃源郷はないと言います

内省は、それぞれの瞬間に充足されず欲求不満に陥っている意味への意志の表れではないのだろうか。

人は、外の世界で具体的で個人的な意味が自分を待っていること、彼が一人で成就すべき任務が待っていることを忘れたときにだけ、自分自身や自分の状態に目を向けるのではないだろうか?

(虚無感について - V.フランクル)

昨日は、前々からチケットを予約していた山中千尋さんの川崎でのライブへ行って参りました。大きなホールで演奏を聴くのは始めてのことでしたし、ジャズはおろかライブのラの字も分からない時に小洒落たディナーショーへ特攻したり、BLUE NOTEの様な一流の会場に女一人ビクビク行くのと比較して圧倒的に緊張せず純粋に楽しみに待つことができました。(笑)

(この重い腰を上げるだけの情熱をくれた山中さんの演奏、幅広い分野でのユニークなご活躍に感謝ですね。三十路ですが、ライブなんてまともに行ったことなかった…。)

しかし、近頃はどうにも調子が悪く余裕がない状態が持続していて、まともに本も読めず、勿論勉強もできず…。ジャズだって全然聴けず。本当に仕事以外にできることと言ったら唯一、ジムだけ。一瞬でも胸に詰まった鉛の存在を忘れ、楽しみ・喜びを感じられる瞬間はトレーニングだけという状態になってしまっていました。こなしたいことが沢山あるにも関わらず、どんどん溜まっていく洗濯物に日々追い詰められていくような心境。でも、呼吸が楽なときがない。落ちてくる天井を抑えるだけで、精一杯。

何か生活で不幸があったとか、特定の原因があるわけではなく、女性でしたら誰でも月の巡りで経験する類の器質的な脳のエラーだと思います。

浮き沈みは誰にでもありますので、個人的には「辛い症状がどれくらい持続するか」という点で鬱病の危険度を判断しています。今回は、杓子定規に診断を受ければコリャいよいよ「非定型鬱病」か「微笑み鬱病」の診断が下っちまうかな…、、どうにかしてこの苦しい負のサイクルを絶たなければ…、、と思っていたところだったので、一瞬ライブはキャンセルの選択肢が浮かんだことも事実でした。だって、突発的に涙ぐむゾンビのような状態で大切な会場に入りたくないですよね。音楽に感動して泣くのは良いけれど!(笑)


そんなこんなでしたが、思い切って行ってみることにしてとっても良かったです…。(山中さんの演奏が聴けるんだから、良かったのは当たり前なんだけどさ!)かるっつかわさきという施設での演奏だったのですが、どのパートの方の演奏も素晴らしくてケミストリーが起きていました。門外漢だけれど、きっとすごく芸が細かくて繊細なんだろうなあと思った。

ジャズトリオの演奏には、詩がありません。「この曲は平和への祈りなんだ!」「人生の闇と光を表しているんだ!」なんて風に、具体的に翻訳して、意味づけをして言語化することは中々できないですよね。そういう意味への動機だけに傾斜しない表現というものも、とても素敵なんだと思います。そして、具体的な意味だけを動機にしていない芸術が、暗い部屋に光を降り注がせることもきっとあります。原稿用紙いっぱいにこれでもかと意味を、意味だけを詰めこんだ作品よりも、もしかしたら純粋な形で…。

今のように山中さんの演奏を頻繁に日本で楽しめる状態ってとっっても幸せなことなんですよね。貴重な時間を過ごさせて頂いているんだと思います。


そう。「意味」と言えば、冒頭のフランクルの言葉に戻ります。

繰り返し自分を繰り返し苦しめる辛い症状の病根を突き止めようとしてみれば、その厄介な重力の正体は、私が根本的に生きる意味を喪失しかけていることにあることが否めないという結論に至るのです…。

私も、自分なりに色々な経緯を辿って今のアメリカの会社に巡り合い、生き残ってきましたので、それを「根本的な人生の意味の欠如」と認めることは、当然ながら気持ちの良いものではございません。絶望!☆

苦労して手に入れたもの、そして、進行形で苦労してキープしている暮らしが、最早自分にとって意味を、価値を失っているのかも知れないなんて。
そう簡単にスッキリと次なる意味、新しい希望を見出せそうにもないのです。フランクルは「実存的空虚が現代人に蔓延っている」と説いていましたが、遺憾ながら私もそのサラリーマンの葬列に加わってしまったようだ。

今日は暗~~い、怖~~い、林檎ちゃんの「葬列」を聴きながら眠りにつこきましょうかね。私はあの曲を聴く度に、美しく恐ろしい「恐山」の景色が浮かんできます。ああいう作品が人間から出て来るって凄いヨネー。(?)

明日の自分が重力に耐えると信じて。いや、多分、同じやり方で戦ってはいけないのだ。重力を跳ね返せないことが問題なのではない。私たちは、パンドラの箱を開き、「空虚」という人生の重力そのものと対峙しなければならないのかも知れません…。少なくとも、ロゴテラピーはそう考え、患者が人生の意味を見出す手助けをする。とフランクルを読みながら思ったのでした。


追記:これまでどのSNSでも、友人にも、誰にも見せることのない日記にさえ表現しようがなかった気持ち、自分の置かれている本当の状況を書き表すことができて、とても良かったです💛noteに感謝です。

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