見出し画像

越境7 イワン その1

・△さんとのリレー小説です。前回「越境6

さいしょから読む→「越境1

-------------------

 建物は自然物で形成されているように見えるが、自然物で形成されたものに付随しがちな、ノイズとも呼べる不規則性が一切見当たらない。角はあくまでも均一にごくわずかなカーブを描き、扉は完全に同じ間隔で並ぶ。そのことの「不自然さ」に気づいたのは、しかしイワンではなかった。また「ここ」では照明は午前中くっきりと明るく、午後に至ってからゆっくりと絞られ、夜には薄暗がりとなるが、その光源がどこにあるのかはわからない。スイッチの類は一切ない。時計もないので、「ここ」では、照明によってだけ時間の経過が示される。それがもし十二時間を刻んでいないとしても、とイワンは思う。それを確認することは、誰にもできない。

「新入り、時計を持ってたよ」

 バキリは靴も靴下も履かない。与えられた長ズボンのすそをまくりあげて、イワンの目には作りもののようにすら見えるつやつやした黒い脚でいつも、足音を立てずに、駆けてくるのでまるでテレポーテーション能力を持つ錯覚すら与える。バキリは靴や靴下やベストを自室(として与えられた部屋)に置き去りにしたまま、バキリの自室それ自体とともに所持品も埃をかぶっている。彼が寝ているところを誰も見たことがない。不思議な子供だ。バキリ。国名をはっきりと告げたことは一度もないので誰も知らないがおそらくアフリカの奥地、「ここにいるみんなよりもっと優れた能力を持ったスーパーナチュラルしかいない国」出身。ここに来てから四年、イワンが知る限り、成長をしていない。

 ここではあらゆる不思議は不思議ではない。だからイワンは彼を受け入れる。イワンの周りでこれまで起こったすべてと同じように。

 イワンはバキリのほとんど倍ほども背丈があり、痩せてはいるが骨太な体つきも、少年のようには見えない。実際、イワンが数えている数字が間違っていなければ、推定年齢は十八歳を超えている。イワンは杖をついて歩くため、こつ、こつ、と左手首に固定している杖が、足音と呼んでいいのかわからない独特の響きを立てる。これはイワンが生身の足を喪ったとき、手首に忽然と現れていた。書き終えたノートのかわりとして、机がノートを生み出すように。イワンはずっとそれを不思議なことだとすら思っていなかった。イワンにとってそれは全て自然な、あたりまえのことだった。ずっと。

「時計」

 イワンはバキリの言葉を反復する。足を留めずにゆっくりと歩くイワンのまわりを、バキリは相変わらず音を立てずにぐるぐるとひっきりなしに回りながら、いかにもたのしげに、歌うように言った。

「何年何時何日何月何秒何分だったと思う?」

「2018年10月14日、おそらく20時。分と秒までは数えていない」

「ざんねん! 9999年99月99日99時99分99秒だよ!」

「……そんな時間が存在するのか?」

「するわけないじゃん。そう甘くないってこと~」

 鼻歌交じりにバキリは言って、あははは! と笑った。「『あいつら』、ちゃんと新入りの時計に細工してたって話! 僕は三秒間時計を見てたけど、ずっと99秒だったよ、それ以上見てても変わらなかったんじゃないかなあ。ざんねーん。でしょ? 書記は時間とか大好きでしょ、毎日数えてるくらいだもんね?」

「好きだから数えているわけではない」

 イワンは「ここ」の少年たちから、書記、と呼ばれている。

 かつて、寮長、と呼ばれていた少年がいた。彼が来た日、イワンには「日付」という概念が発生した。イワンに「日付」や「時間」を教え、そもそもイワンにイワンと名前をつけたその人物は、もう、ここにはいない。――イワンが殺した。

 イワンが殺したのだ、と、鈍くあしもとをみおろす。ここにいるのがバキリでなければよかったのに、とイワンは思う。バキリでさえなければほかの少年たちは自室で寝るし、自室で寝る相手ならばイワンは「人間はもう寝るべき時間だ、シーツをきちんと整えて寝るように」と小言を言うことができた。「ここ」の最古参であるイワンは、かつて寮長だった少年に言わせれば「偉い」から小言のひとつも言って構わないのだけれど、イワンにはシーツをきちんと整える以外のことで彼らを叱るべきことが特別思いつかなかった。寮長なき今となっては、イワンは正義とはなにか、理解できなくなっている。

 イワンは目覚めたとき、それは生まれたときとほとんど同義だと思うのだが、すでに「ここ」にいた。赤ん坊のイワンは空腹になればなにかが口に入ってきていたし、服は定期的かつ自動的に交換されていた。いずれ成長すると服はたたんで用意してあるものを着ることを学習し、食べ物を探して食堂へ行きつくことも覚えた。そして十一年前。二人目の子供が来た。寮長。

 イワン。国籍不明。推定年齢十八歳。「書記」。

 ジョルジュ。フランス出身。享年十七歳。「寮長」。

---------------

・△さんとのリレー小説です。次回「越境8

下記相手方からのコメントです。

ここから先は

250字

¥ 100

気に入っていただけたらサポートいただけるとうれしいです。