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非日常から日常へ:プロット術のスケッチ

 プロットのことを考えている間に冬を終えてしまい、もうずっと考えているので一回クールダウンしたほうがいいのではないかという気がしはじめたあたりでようやく展望が見えてきたので簡単に書いておきます。わたしはこれをちゃんと言語化してテキストにまとめるまでいけるんだろうか。

 プロットというのはシンプルに突き詰めると「日常に対して事件をぶつける、その事件に対する反応と動向」で成り立っていて、具体的にチャートにするとこうです。

日常→事件→事件に対する対処→(新たな問題の浮上あるいは新たな事件→混乱→更なる対処)→対処によってもたらされるエンディング
(※かっこ内を繰り返したり事件を並行させたりする)

 これはべつにわたしが考えたわけではなくて、いろんな先生方が物語の構造とはどうなっているかを調べた結果おおむねこんなかんじじゃん、と言っているのを最小限簡略化したものなんですが(だからどんなプロット術の本を読んでもたいてい似たようなことが書いてあると思います)、まあ要するに「日常」があって「非日常」があって、その間を行き来するというのが物語ですという説明のしかたをいまのところしています。

 事件、そう、この「事件」という言葉がどうしてもうまくなくて、「非日常」とか「出来事」とかいろいろ言いかえているんだけど口頭で説明するときあんまり馴染まなくて困っている。困っていたまま冬が過ぎてしまったのでした。

 プロットの立て方の基本的な考え方は「日常と非日常の間を行き来する」でいいんですが、問題はこの「事件、出来事、非日常」を「起こしたくない」という場合で、冬じゅう悩んでいたのはその場合の説明です。

 とくに二次創作をされる方において顕著な印象がありますが、「大切なキャラクターと大切な世界観をあまりいじりたくない」あるいは「事件は既に起こっているのでドラマティックな展開は必要ない」「困ったり混乱したりする話が特に書きたくない」という場合が結構あって、「事件が起こって混乱する」という式が使えない。

 じゃあどうするか、というと、「非日常が混乱を招く」ことに主眼を置くのではなく、「非日常が常に日常に帰趨していく」ことに主眼を置くことで、プロットの形を整頓可能ではないか、というところまで思索が行き着いたところです。

 つまり、「ありふれた日常」の中に起こる「小さな非日常」(新しい雑貨を買う、ちょっとしたイベントに参加する、いつもと違う調味料を使う……)を経て「それがいかに日常に溶け込んでいったか・溶け込んでいるか」を描くことがこの場合のプロットの骨子になります。


 という話をもう少し詰められたら「物語以前」を更新できると思う……。



 noteで何回か話題にしていますが去年の11月から絵の勉強をしていて、勉強をする、学ぶ、というのは「常に非日常を摂取しつづけること」と「『知らなかったこと』から『自分にとってあたりまえのこと』に変化させること」の連続だと思う。

 生活するということ自体がそもそも日常から非日常そして非日常から日常への遷移であり、物語なのだなあと思うわけです。

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