書籍版『赤塚王国フラグメンツ』不備のお知らせと22章公開のお知らせ

 書籍版『赤塚王国フラグメンツ』に編集ミスがあり、22章が収録されていないという事態になりまして、たいへん申し訳ありません。

 通信販売でご購入頂きましたお客様へは既にメールをお送りいたしましたが、イベント購入された方にデータをお渡しすることは困難になると考えまして、22章全文無料公開&PDFデータを配布しております。

 PDFファイルはboothにて配布しております。

 なお、電子書籍版のデータは既に修正済みです。

 このたびは不備のある書籍の販売・データ配信となりましてたいへん失礼いたしました。改めまして楽しんでいただけましたら幸いです。

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赤塚王国フラグメンツ(22)イヤミの成功とトド松の失敗、「視聴者側の存在」としてのあつしくんの幸福


 22話「ファイナルシェー」「希望の国トド松」、そして続く23話「灯油」と「ダヨーン族」、24話「手紙」は全て、「異世界への冒険の旅」を扱ったエピソードである。

  18話から21話までかけて、自己、そして兄弟内の政治のありようをリセットした六つ子は、22話から24話にかけて自己との対話を行ってゆく。その先陣を切ったのがイヤミであり、これまで繰り返されてきた通り、旧主人公として、また大人として、イヤミは「自己を作り上げること、取り戻すこと」に関するモデルケースを六つ子に示す。

  イヤミは4話、かつてまだ転落する以前のエピソードにおいて、「シェーの練習」を行っている。22話Aパートはその「シェーの練習」を冒険譚として拡大したものであり、ここでイヤミに与えられる修行は、6話、10話、18話と重なるかたちで喪失してきた、ヒーローとしての自分を取り戻すためのものである。その意味でこれは「逆襲のイヤミ」がそうだったように「イヤミが考えて生み出したイヤミのための国」である。ここにおいてイヤミは、もはや「シェー」がギャグとして通用するかどうかという問題ではなく、それが自分のアイデンティティと密接に結びついていることに向き合うこととなり、見事「シェー」を取り戻す。

  六つ子が観客としてイヤミの「自己とのリベンジマッチとその成功」を観戦しているのは示唆的である。イヤミは常に六つ子の前に存在し、六つ子は常にイヤミから学んでいくこととなるのだが、この劇的な成功譚である「ファイナルシェー」のあとに置かれたエピソードが、トド松のいわば「どんでん返し」回となる「希望の星トド松」である。

  本論では既に再三述べているが、トド松はこのエピソードに至るまで、「ドライモンスター」との異名のとおり、五人の兄から距離を取ろうとしているように描かれてきた。3話や7話で扱われた兄からの「末っ子としての」迫害を前提としたトド松の奮闘は14話「トド松のライン」で結実し、六つ子の膠着した関係からいち早く自立したかに見えた。「自立」は4話でトド松が漏らした目標であり、14話でトド松の「自立」は成功し、トド松の物語はその時点で完結したとの印象を視聴者に与えたのちの22話は、トド松のこれまでの行動の意味を完全に塗り替えることとなる。

  合コンを「女の子と出会って遊ぶ場所」と認識する兄たちに対して、トド松は非常に真剣に「失敗できない場所」であると熱弁し、「合コンに参加することによって活路を見出し、天上人の世界に上がる」という野望を語る。そのためには兄を連れていくことはできないと判断したトド松は友人のなかで最も「天上人」である「あつしくん」を誘い、結果、「あつしくん」の前で「なにもなし男」と呼ばれるほど自己アピールのできない存在として「失敗」してしまう。

  既に述べた通り、トド松がここで「背負っているもの」は完全に的外れな使命感であり、兄たちは誰ひとり「天上人」になりたいとは願っていない。しかしひとり悩むトド松のなかで流れる歌「希望の星トド松」のなかで、兄たちはトド松に「希望」を寄せる歌を歌っている。言うまでもなくこれはトド松の妄想上の兄であり、その「希望」は捏造されたものである。トド松は「天上人になることによって兄を救う」ことが正しいと信じるあまり、兄の「希望」を脳内で捏造するに至る。

  トド松がそのような発想に至った理由は2話までさかのぼることになる。2話でカラ松の一連の発言にツッコミを入れたトド松は、その後「働きたくなーい! こうやってのんびり平穏に過ごすだけじゃダメなのかなあ、人生」と漏らす。22話に至り、トド松の目指していた「自立」とは、3.5話で語られた「サークルはキャンパスでシェアハウス」の世界、つまり「誰にも後ろ指を指されることなくモラトリアムを謳歌できる特権階級としての天上人」になることだったと明かされるのである。

  「希望の星」としてのトド松はあつしくんを前にしてあえなく敗北を喫するが、このエピソードのポイントはトド松のどんでん返しだけではない。「希望の星トド松」には、「天上人」側から見える世界も描かれている。

  トド松は「合コンの前日夜」にメンツをそろえることができず悩んだ結果あつしくんに連絡を入れる。そして合コン当日、あつしくんは女の子たちに対して「時間取れたらね」と、日常を忙しく過ごしていることを示唆する返答をしている。つまりあつしくんは暇を持て余している六つ子と違い、忙しい日々を送っている。視聴者の大多数がそうであるように。

  物語はトド松視点で進むため、視聴者にとってはあつしくんは「憧れの存在」である。しかし同時に、忙しい生活を送っているにも関わらず『おそ松さんというアニメ』のために時間を割いている視聴者は、おそ松さんらしい言い回しで言うならば「あつしくん側の人間」である。忙しい生活を送っているにも関わらずあつしくんがトド松の合コン参加要請にこたえた理由は、「あつしくん側」である視聴者からすれば自明である。

  それはトド松が魅力的だからに他ならない。

  トド松から見れば、ルックスもそれなりに良く、働いていて、車さえ持っているあつしくんは「天上人側」の存在であり、実際あつしくんは合コンで女の子からの支持を集めることができる。しかしあつしくんが女の子と遊ぶために来たわけではないことはたったひとつしかないあつしくんの台詞から自明である。ではあつしくんはなぜ合コンに来たのか。兄たちのように女の子と遊ぶためでも、トド松のように活路を見出すためでもない。あつしくんは「トド松が呼んだから」もっと言えば「トド松と時間を過ごしたいから」合コンに来たのである。それはあつしくんから見ればトド松の生活、六つ子の生活、20歳を過ぎてもだらだらと好きなことをして悠々自適に生活しているニートたちの生活こそが輝いて見えるからに他ならない。

  ここで世界観の逆転が起こり、そして同時に、視聴者の肯定が行われる。トド松がここで否定している六つ子の不幸は、同時にあつしくんからの篤い友情を勝ち得る価値ある幸福であり、視聴者の大多数はそれを、つまり六つ子の「のんびり平穏な人生」をこそ肯定していた。それは彼らのなかで失われていくものであっても、そこにはあきらかな価値があったのである。

  「今日の合コン楽しい」と他の参加者が言う中でトド松が「なにもなし男」と呼ばれてしまったのは、「トド松らしさ」を封印しているからであり、それは7話スタバァで嘘の経歴を名乗って自分を偽ろうとした行為と同じ罪である。そしてアニメシリーズは22話に至り、トド松の魅力とはたとえば毒気のあるストレートな本音トークやわざとらしい媚び、そして兄弟に対する良い意味でも悪い意味でも熱い思いといった、等身大の姿にこそあることを視聴者は知っている。ならば当然、トド松の魅力を知る存在であるあつしくんもまた、その姿を見たことがあるのだろうと思わせられる。トド松が「天上人の国」を冒険していたように、あつしくんもまたトド松を通じて、「ニートの国」を冒険しているのである。

  トド松は「天上人との生活」を夢見続けていたが、それは既に叶っていることを、この時点のトド松はまだ気づいていない。

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