物語以前03 「舞台」というキャラクターと、都合の良い唐突な壁

 ここまでお話したことは、つまり、

・「描きたいこと」を簡潔にまとめること
・「描きたいこと」が起こるまでに至った経緯
・描かれた「描きたいこと」はこれからどのように変化していくのか

 を明確にすることで、物語やキャラクターの簡単な輪郭を捉えることができる、というお話です。これは物語の大枠や、そのなかで活躍するキャラクターだけではなく、物語やキャラクターが動く「舞台」にも適用されます。

 物語には、物語を牽引するメインキャラクターではなく、物語をサポートするための「モブキャラクター」が存在しますが、モブキャラクターにももちろん過去と現在と未来があります。

 それと同じように、「舞台」にもまた、現在と過去と未来が存在します。

 モブキャラクターや舞台は、物語の要請に従って、いくらでも「都合の良い存在」として扱うことができます。それは一概に悪いことではないのですが、「都合の良い存在」は、物語を短調にさせがちです。また、矛盾が発生することもありえます。
 
 アクション映画などで、「主人公が袋小路に追い詰められ、アクションシーンに突入する」というおきまりのかたちがあります。これはアクション映画を見慣れている人にとっては「おきまりのこと」であって気にならない点として処理されがちで、これはつまりアクション映画という大枠において袋小路が「継続キャラクター」であるからなのですが、しかし、それを見慣れていない人にとってはそれは「アクションシーンに入るために都合よく用意された唐突な袋小路」であり、物語に没入することを阻害する可能性もあります。

 わたしはこのような、ある種の思考停止によって用意される舞台およびモブキャラクターのことを、「都合の良い唐突な壁」と呼んでいます。

 もちろん「唐突な壁」を使うことが常に悪いことであるわけではありません。特に二次創作においては、共有されている設定(二次設定を含む)を作品に取り入れていくことが、読者にとって親しみ深い作品を作ることもできるでしょう。

 しかし同時に、「今書いている作品が、どうもつまらない、短調だ、ご都合主義的だ」と感じる時は、誰かあるいはなにかが「唐突な壁」になっていないかを確認してみることで、打開策が得られることがあります。

 都合の良い「唐突な壁」の都合の良さは、あるいは物語の展開そのものかもしれませんし、メインキャラクターが物語にとって都合の良い展開のために唐突な存在になっていることもあります。カップリング二次創作においては特に、ふたり(ないし任意の人数)のなかの一人について描くことを目的にすると、それ以外のキャラクターがなにを考えてそこに存在しているかわからなくなり、物語が破綻するということもありえます。

 物語はいろいろな要素の組み合わせで成り立っています。そのなかの何か一つを描くことを目的にするのが悪いことであるわけではありませんが、自分の物語がつまらないものであると感じたとき、あまり気にしていなかった部分を省みてその「都合の良さ」に向き合ってみるのは、かなり役に立つ手段です。

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