地雷という概念のない世界 二人目

 昔々、腐女子がいました。

 彼女は地雷という概念のない世界に生きていました。

 もちろんそこには地雷という概念がないので、彼女は地雷という概念がないということ自体を知りません。彼女の周りの腐女子たちは皆、お互いの主義主張に対して、いいね、わかる、萌える、と、ふわふわとした言葉を交わし合っていました。激しい言葉を使う人は誰もいません。

 彼女たちの世界では、激しい言葉で何かを賛美することは、激しい言葉で何かを憎むことと同じくらい、品格がないことだと思われていました。だから彼女たちは、たとえどれほど激しい感情を抱いたとしても、それを口にすることはありませんでした。

 ふわふわとした肯定だけがそこにはありました。

 そこには地雷という概念がないばかりではなく、地雷という兵器も存在しませんでした。戦争という概念は古いイメージにすぎませんでした。腐女子のみならず、あらゆる人間が、ふわふわとした肯定だけを与え会っていました。コミックスが発売日に届かない、些細なことです。アニメが放送日に放送されない、些細なことです。交通事故で弟が死んだ、些細なことです。災害で大量の死者が出た、些細なことです。大丈夫。みんなちっぽけな問題にすぎません。

 憎悪という感情は過去の産物になったと、皆が思っています。

 そうではないのかもしれないと、確かめることはできません。

 誰もいない森の中で、彼女は本をきつく抱きしめて走っています。言葉にすることはできません。そんなものはないと、皆が言っているから。世界にはそんなものはないと、皆が言っているから。人が死んでも泣くことがない世界において、たかが漫画の一ページに、こんなに心を乱されている自分が、間違っているのでしょう。彼女は走っています。

 感情から逃れるために。

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