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イタリア風のデザートピザ

 わたしの実家は山に張り付くように形成された団地のなかにあり、小学校までバスで二十分、バス停まで二十分、バスが来るまで遅延を含め二十分から三十分ほどかかった。徒歩圏内(というのは片道三十分程度の範囲を指す)にあるのは「近所のおばさん」がやっている個人商店だけで、出かけていくとわたしの名を呼ばれ、祖母の容体などを聞かれた。最初のコンビニエンスストアができたのはわたしが中学生の時で、すぐ潰れた。小学校のそばにはコンビニエンスストアがありはしたが、それもわたしが小学生のうちに潰れた。

 あらゆる全てが終演に向かっているようなあの世界をわたしはけして嫌いではなかった。

 わたしやポアロや弟が育ったあの山に、最も近い街へ出かけていくことは、中学生まで禁じられていた。もっともポアロの前にルールは無意味だ。わたしが彼を決して家に上げない類の、マンツーマンのものならともかく(それはわたしが阻止すればいい話だったし、そして彼はわたしとの契約を破った場合のリスクの計算はできた)、街で遊んではいけないというあいまいなルールは彼を縛ることはできなかっただろう。わたしたちがようやく子供だけで街へ出かけていけるようになった頃、彼はもうそこに詳しかった。

 そこもまた終わりに向かっている街で、商店街の多くは閉鎖され、大型スーパーではある日赤ん坊の死体が捨てられていた。こっちの中学校ではほとんど毎日のように窓が割られるらしいよと鼻歌交じりに言いながら、彼はしかし、小さなイタリアンにわたしを連れて行った。

 あれが、記憶する限りにおいての、彼とわたしの外食の始まりだ。

 わたしはそもそも給食のメニューとコンビニや駅弁で底上げに使われているくたくたのスパゲッティ以外のものを食べたことがなかった。ピザパンというのはトーストの上にトマトケチャップを塗ってスライスした玉ねぎをのせてオーブンで焼くものだと思っていたし、トマトケチャップとピザソースが違うことも知らなかった。イタリア料理の専門店というものはおろか、カフェレストランという概念も知らなかった。単価が高いとは思ったがそれが相場なのかどうかもわからなかった。ピザというのはトマト味のパンのことではないということも知らなかった。

 ただ彼は、既知の情報のように言った。「おまえこういうの好きだろ」

 わたしがわたしの分の食事代を払えるようになるまでには時間がかかった。だから、今日は金があるから奢らせろとわたしが言わない限り、今でもわたしの分の支払いを彼が勝手に済ませてしまうことのほうが多い。それはわたしたちの間において、不平等なことではない。多分。

 だから別に断ってもよかったのだ。

 可愛らしい猫ではなかった。ただ、諦めきった目をしていた。じゃあ仲良くねと言ってごくあたりまえのように置いていった彼を、家に上がらせない契約はわたしが差し出したもので、彼はそれを忠実に守ったにすぎないし、彼には決まった住所というものがほとんどないも同然なのだから、ここにこの動物がいるのは完全に筋が通ったことだった。そして何より既知の情報のように、彼が言った。

「おまえこういうの好きだろ?」

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