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友達のこと

 6時半に目を覚ます。眠い。起きてパンを食べているうちにモーニングコールがかかる。最近友達4人くらいとモーニングコールをかけあって朝起きる努力をしていて、これはたいへんよい、すばらしい習慣だと思う。すばらしい習慣であると同時に友人がいないと成り立たないことなので得難い習慣であると思う。

 好きな人間の声を朝に聞ける、おはようというやりとりができるというのは良いことなんだよなという、ものすごく基本に立ち返った感情を抱いています。よいことです。


 さて、わたしはお仕事で人の相談をうけていて、わたしはそこで言わないと決めていることがあって、それは「友達や家族を頼ってください」です。

 要するに欲しいですと言ってすぐ手に入るものではないものを手に入れることを前提にしたアドバイスはアドバイスではないでしょということなのですが、だから自分の機嫌を自分で取ることを考えた方がいいと思うのですが、まあそれは理想論であって、実際ひとりでどうにかなるかっていうと微妙ですよね。それはやっぱり。

 でも「できればひとりでなんとかなること」「自分の機嫌を自分で取ること」「自力で生き延びること」ができるのは前提として、その上に人間関係を載せていきましょう、と、やっぱり言わざるを得ないというか、わたしはこれからそういうふうに言っていくとは思うんですが……。

 実際問題として人に救われ、人に支えられ、人から支援されて生きている自分というのがいて、それを無視することはできないんだけど、人に生き方について、生存の方法について話すときはそれは前提にはできないでしょ、人間関係なんて運でしょ、運でどうこうなってる部分を「運が良くなってくるまで頑張りましょう」とは言えないでしょ、という気持ちがどうしてもある。

 でもまあ、そもそも「ひとりでなんでもできるようになりましょう」にだって、運の側面はあるでしょ、というのが最近思ってることで、ひとりでなんでもできる人間というのはその能力がある人間でしょ、ということなんですよね。で、「ひとりでなんでもできる」は別に「みんなできること」じゃないんですよね。

 もちろん朝起きるために友達にモーニングコールしてもらえるはラッキーな案件なんだけど、そうでなくても、寂しかったら通話なりSNSなりで対話をもつことができるとか、困っていたら相談できる人がいるとか、そういうの「まったくなしで」人生を組み立てるのはそれなりにハードモードだし、まあハードモードなのはしょうがないとしても、「そうやっていくしかないですよ」っていうのはそれなりにしんどいことを欲求している・されているのだという認識は必要なんだよなというのが最近思っていること。

 でもやっぱり「人に頼った方が楽ですよ、楽なんだけど、それは楽だからという理由でやるべきことではなくて、まず自分でどうにかできるという前提があるべきで、人に頼ることを前提にしてしまったら人がいなくなったときに成り立たなくなるわけで」とは思う。「いなくなること」を前提にすべきではないのかもしれない。そこから違うのかもしれないが……。

 まずひとりで生きる、自分の機嫌を自分で取ることを考えて、でもそのあとには、「人生に必要な他者について考える」時間が誰にでも来るのではないかというのが、ここ2年集中的に人生相談をやってようやく思い始めたことです。他者がいると人生は楽になりますよ、やっぱり、それはそう。だからといって適切な他者と出会えるかどうかはわからないけど。


 2年経って最近一人ではさすがに行き詰っている感じがあり、いい加減勉強するかなと思って、通信教育のごく軽めのカリキュラムではありますがカウンセリングの講座を受講することにしました。

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