かなむらさん、ちょっと相談したいことが:コミュニケーション能力のこと

有料相談にて、コミュニケーション能力に関するご相談を受けました。公開をご希望頂きましたので、相談の内容とお返事を全文公開いたします。ご相談いただきましてありがとうございました。

かなむらさんこんにちは。コミュニケーション能力の低さで問題を引き起こすことが多く、そのせいで自分のことを信じられなくなって悩んでいます。申し訳ないのですが、この悩みの相談文も現状の悩みを正しく捉えているのか自信がありません。

大学生です。入学してから数年間悩んでいます。具体的には
・人と何を話したらいいのかが分からず、話しかけ方も返答も何も思いつかず楽しい会話が続かない。
・家族とも上記のような感じ。自分では人見知りという原因ではない気がする。
・人と楽しく会話し、打ち解けて仲良くなれる人達に憧れてそうなりたいと思っている。
・高校までは沢山喋っており友達や仲のいい先生などもかろうじてできたが、会話や気配りや楽しむことが上手な彼らが気を使いつつ私のいいところを拾ってくれてたから楽しく過ごせていた、自分は会話も能力も何もかも低いんじゃないかと大学に入学し環境が変わったことで自覚して過去の自分をまるで否定し、いい人間になりたいと悩み始める。
・レジ、事務的な用事を伝えたり聞いたりすることはかろうじてできる。
・厳密には、無理やり人と会話をつなげることもできるけど相手が全く楽しそうではなく自分も楽しくない。他の人たちが自然と楽しそうに話して仲良くなっているのを見てはつらくなる。
・コミュ力というより頭の悪さが問題ではないかと考えることもある。バイト、サークル活動、人と遊ぶ時に自分がやるべき必要な働きが分からなくて浮き、役立たずになってしまう。
・また、話だけではなく身のこなしやしゃべり方や、ものの考え方そのものから全部に問題があるのではないかと思う。しかし少しずつ努力をしても肝心の人との関係は良くならない。
・1人でいる時でも自分の今考えてることは本当に自分が思ってることなのか、また社会一般から見て適切な思考なのか自信がなくて、考えること話すことに面白みがない気がする。
・バイト先やサークルで皆いい人で気を使ってくれてるけど避けられがちになるのが申し訳なくてつらくて、辞めてしまってしばらく何もできていない。
・同様に、本を読んだり勉強をしていてもその話を表面上でしか読んでなくてちゃんと理解してない気がする。
・勉強にも遊びにも人にも、好きなものが沢山あるけれど主体となる自分をろくでもないも感じていて素直に楽しみ、努力をすることができない。
・会話に慣れて力を鍛えていこうと何とか人と話しを続ける練習をするものの、何も変わっていない気がする上に毎回相手やその場を嫌な雰囲気にしてしまうのが申し訳ない。
・去年から好きなジャンルでツイッターアカウントを作り、人の感想や二次創作を見つつ自分も載せ、好きな人達と少し仲良くなることもできた。でも人間としての自分に自信がなく、ちょっとしたジャンルの話以外は続かないと確信してるので、誘われてもリプライ以上のやり取りはできない。
もうどうにもならないのでは、と将来本当に行き詰まる前に自死をしようかとたまに考えが浮かぶ始末です。でも本当は死にたいわけじゃないんです。普通の優しい人達みたいに一生懸命生きて、職場や学校で人と仲良くなって、好きなことを楽しくやって過ごしたい。でも自分は本当に並外れてどうしようもなくて努力してもそうはなれないんじゃないか、と人と話すたびに自信をなくしつつあります。
要領を得ない上に暗い相談ですみません。本当はどこか専門の人に相談すべき分量なのかもしれないのですが、どこにどう相談したらいいのかも分からないんです。
実際に会話が下手、物事をよく理解できないという能力の問題が良くなれば気持ちの面は一緒に解決しそうな気がします。なので、こういうコミュ力の低さを直すにはどういう練習が効果的だと思うか、もしくは自分で自分に合った方法を見つけるためにはどうしたら良さそうかということについてかなむらさんの考えを聞かせてもらえたらありがたいです。

 こんにちは。ご相談ありがとうございます。
 概要としては、
・人と明るく会話し、打ち解けて仲良く話したいと思っている。
・高校生まではたくさん人と話せていたが、大学生になってから人と何を話したらいいのかわからなくなり、数年が経った。
・自分に自信が持てない。
・人と深い関係が作れない。
というあたりがポイントではないかと思います。

 コミュニケーションというお話からは少しずれてしまいますので、わたしのお返事はあるいは適切なものではないかもしれませんが、一点気になった点からお話したいと思います。
 「高校までは楽しく話ができていた」「大学生になってから自分に自信がなくなり、周囲の人とうまく話せなくなった」ということから、質問者さんは「自分が劣った存在だから、大学でうまくやっていくことができないのだ」という回答を導き出していらっしゃるのですが、これに関してわたしは、そのように考えるのは最適ではないという印象を受けました。
 むしろ、大学の環境やカリキュラム、人間関係などに対してストレスを感じている、質問者さんに環境がストレスを与えているから、楽しく生活をすることができなくなったのではないでしょうか。
 ある程度決まったカリキュラムをこなし、ある程度近しい存在でまとまって生活をする高校生活が質問者さんにとっては「良い環境」であり、対して、新しいことを次々にこなさなくてはならず、人間関係も複雑になった大学生活は「ストレスの多い環境」なのではないでしょうか。

 おそらく、質問者さんにとって現在最も必要なのは、コミュニケーション能力を身に着ける以前に、自己肯定感を高めることではないかと思います。
 まず、「自分がつらい思いをするのは、自分が劣っているからかどうかは関係なく、ただ自分にとってはつらいことで、いやで、苦しいことなのだ」と認識をする訓練をしましょう。「いま、いやだったな(でもそう思うのは自分がダメだからなんだろうな)」と思う、この()の部分をできる限り、考えないようにする必要があります。もし質問者さんが実際に「ダメ」なのだとしても、それと、まわりの人と話のテンポが合わなくて苦痛だとか、避けられているとか、そういったことが「つらい」ということをありのまま受け止めましょう。
 「つらい」というのはそれだけで十分大変なことです。「つらい」自分、ストレスを受けている自分を、まず甘やかしてみる訓練をしましょう。

 もし、どうしても「自分を甘やかす」「自分が嫌だと思うことを単純に嫌だと感じることができない」という状況にあるのであれば、もしかしたら鬱病など、医学的な手助けが必要な段階かもしれません。このへんに関してはわたしは専門家ではないのでなんとも言えないのですが……。

 伺った限りでは、大学や周囲の人々のテンポが質問者さんの生活のテンポに対してちょっと速すぎて混乱しているまま、テンポを合わせなくてはと無理をしている間にどんどん無理が積み重なってしまったのではないかしらと思いました。
 自分自身にとってここちよいと思えるテンポを見つけるところから始められるとよいのではないかと思います。結構むずかしいことですが、自分の、ダメなところやなりたい姿ではなく、よいところや、好きなもの、大切なものについてゆっくり考えてみましょう。

 前提として、「あなたがつらいということと、あなたがダメであるということに、かかわりを持たせない訓練をする」というお話をしました。

 本題のコミュニケーション能力のお話に移ります。コミュニケーション能力に関してはいろいろなアプローチがあると思いますし、一般にコミュニケーション能力が高いとされている人にもいろいろなタイプがいると思います。わたしはこの点に関しても専門家ではないので、わたしはこのようにした、このようにしている、という対処しかお話しできずすみません。

 わたしもコミュニケーション能力には乏しい方でした。いまでも、見知らぬ人や、普段会話をしないタイプの人と一緒にいると、会話が全く弾みません。
 しかし、逆に言うと、何度か会話をしたことがある人や、会話をし慣れているタイプの人が相手だと、それなりに会話をすることができていると思います。
 人と会話をする、ひいては人と一緒に過ごすということは、
・差し出す。
・受け止める。
 この二点によって成り立っているとわたしは考えています。
 差し出す、提供をするというのは、面白い話をするとか、会話を膨らませて弾ませるとか、そういう能力です。質問者さんが訓練して伸ばそうとしていらっしゃるのはこちらではないかと思いますし、たしかに上手に言葉のやりとりをしている人に憧れるという気持ちはわかります。
 でも、差し出す側になる努力をしてそうなれないということは、たぶん、それが向いていないということではないかと思います。
 会話をするということは、差し出す側がいて、受け取る側がいて、はじめて成立することです。焦って相手の話に対してたくさん返事をしようとせず、ゆっくりと話を聞くという能力を磨いてみるというのはいかがでしょうか。
 「この人の話は、聞いていて意味がわかる、一緒に話していて楽しい」と思える相手の話をゆっくり聞いて、その人がどういう考え方や価値観を持っているのかわかってきたら、自分はその話を聞いてどう思うのか、自分にとってその考え方はどういう意味を持つものなのか、また、ゆっくり考えてみましょう。
 自分のテンポや自分のペースを理解して、ゆっくりやってみることが大切です。

 また、「趣味の話やジャンルの話はできても、人間としての自分の話ができない」ことをコンプレックスに感じる必要はありません。あなたは相手の全てを受け入れる必要はないし、相手もあなたの全てを受け入れる必要はないのです。
 打ち明け話ができる距離感というのはかなり近いもの(あるいはわたしと質問者さんのようにとても遠いもの)ですし、近い相手にそれを求めるとしたら、それはとても特別な相手です。特別な相手ができることは幸せなことですが、奇跡的なことでもあります。現実的に可能な範囲で、無理なく、あくまでもゆっくりと、自分にとって適切な距離感と相手を見つけていきましょう。

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