戦わなくても生きられる

 昔話ではないんですがマガジンにこの文章を入れておきたいと思ったので。

 わたしがここで「昔々、腐女子がいました」で始まる文章を書いているのはある種の「ごくあたりまえにここで分かち合われているペーソス」が「外部の人間から見てもごくあたりまえによくあるペーソスでしかない」ということを分かち合いたいという意図があり、いやそれ以外にもいろいろと意図はあるんですが、まあそのような意図はあります。

 「腐女子」というのは「人間」ですよ、という話です。

 そしてそれ以上でもそれ以下でもなく、そこにあるのは欲望と人間関係、つまり、端的に人間であるそれだけの営利です。「昔々、腐女子がいました」をどのようなカテゴリの人間に置き換えても別にそんなのは全部よくあることです。これは全部どこにでもあるよくあることです。

 それは別に「隠れなきゃいけない」ことではないし、かといって「隠れたい」人を否定するものでもない(自分の欲望を隠しておきたい人なんて別に普通だ、それも認められてしかるべきだ)し、かといって「隠れたい」人が「隠れたくない」人を糾弾するのはそれはそれで違う、でも糾弾せざるを得ないシーンはまだまだいくらでも続くだろう、それならば「なぜ隠れないのか」「あなたとわたしは違います」ということをひとつひとつ言っていかなくてはならない、それだけのことです。

「わたしはあなたと違います」

「わたしとあなたは関係がありません」

「わたしのしたことがあなたにとって不利益だとあなたが感じたことと、わたしがしたかったことは、関係がありません」

 たったそれだけのことであり、たったそれだけのことだけを巡ってやりとりをしなくてはならないのであり、そして、「ここにいるのは人間なんですよ」とただ単に言い続けるだけで別によくて、「蔑視を跳ね返すためには戦わなくてはならない」みたいなのも違うんじゃないかなと思うのでわたしは言い続けようと思って書いています、「昔々、腐女子がいました」

 ここにいるのは人間で、人間は何千年も前から、欲望の先にあるものを夢見て生きてきたんですよ。単にそれだけなんだ。

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