嫉妬のこと

 嫉妬についての相談をかなり頻繁に受けます。長い間嫉妬というのがどういう感情なのかわからなくて苦労しました。わたしは嫉妬がわからなかった。長い間。なんですけどまあ色々あって、Twitterにアニメの感想を書く、とか、匿名のメッセージボックスを用意する、とか、Twitterのリプライを返す、とかいうことが、すごくしづらい状況になりました。なっています。いま。

 そうなってから暫く経って、まわりの人がそういうことをあたりまえにやっているのを見て、「ずるい」と思うようになった。

 まずいなと思った。

 まずいなと思ったのでTwitterをやめました。というか、職業的に扱っているほうのTwitter(商業アカウントしかフォローしていない)以外でのTwitterでの交流をやめた。


 「ああ、これ嫉妬か」と思った。

 「嫉妬をしている」という相談について、掘り下げて聞いていくと、「わたしのほうが『あれ』よりももっと『得るべき』なのに、現実はそのようではないから」悔しい、「自分は代入可能なはずなのに代入されていないから悔しい、という話っぽいなと思うことが多くて、わたしが「アニメ観てもわたしは感想が書けないのにみんな楽しそうにアニメ観て感想書いててずるい」という感情は、たぶんそれ、同じもの、悔しいという気持ち、嫉妬、だと思う。要するに、「わたしだって何か条件が違えば、その立場に立てたかもしれないのに、その条件を満たす可能性は確実にあったのに、立てていない」という話で、これは「親近感」に限りなく近いものではないか。

 そして、「自分はそこにいつか戻れるはずなのにどうして今じゃないのか」「そこにいられたはずなのにどうして今そこにいないのか」「どうしてわたしは守ってもらえなくて『あなた』は守ってもらえるんだろう」と思っている間は、嫉妬でぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃに『あなた』が憎い。

 んだけど、それが「親近感」と「憧れ」に切り替わる瞬間が、少なくともわたしの場合はあって、それは「わたしに似ているあの子が、おなじくらいひどい目にあわなくてよかった」「わたしの好きな人がそれのおかげで幸せになれるものを、わたしも好きだった頃があってよかった」という感情に、嫉妬心が切り替わっているときです。

 たぶん前者と後者は表裏一体で、「わたしがあなたではないせいで、あなたができることが、わたしにはできなくて、悔しい」も、「あなたがわたしではないから、わたしができないことができてよかった」も、どっちに転がる可能性もあるんじゃないのかと思う。

 だから嫉妬が苦痛でそこから逃げだしたいときは、『わたし』と『あなた』はそもそも全然違う、ということをとりあえずはっきりさせるしかない。

 『あなた』の姿をしている、「あったかもしれないわたしの未来」は、絶対にない。なぜなら『あなた』は『わたし』じゃないから。

 そしてそのうえで、「わたしの未来はこんな輝かしい形をしていた可能性もあったんだな」という仮定をひとつの夢としてみいだすことができるなら、嫉妬は憧れに、あるいは愛情を伴った親近感に変化する可能性もあるのかもしれない。


 わたしが基本的に嫉妬というものをしないのは、わたしがたとえば「アッコちゃんのコンパクト買ってもらえない」家の子供だったからで、「うちはよそとは違う」部分が多すぎたので、その枠のなかでどうにかして楽しく生きようとしていくことと『あなた』の人生は全然かけ離れていて、親近感を抱く余地なんかなかったからだと思う。

 ので、嫉妬をできたのは、「みんなと同じように遊ぶ」ことができた結果だったので、わたしには、豊かな経験でした。


 入れるものが思いつかなかったので以下は何も入っていません。気が向いたら投げ銭してね。

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