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ASKAがくれた共感は次元が違うというお話

自己紹介を除けば一番最初の記事になるのに、こんな重たい話でいいのか悩む、、、

でもどうしてもこの感情とエピソードを残したいので書きます。

次からはライトに2人のおじさん愛を語っていきたいと思っているのでよろしくです。

では本編。

コロナウイルスが蔓延し、世界中が大パニックになった2020年。

誰も経験したことがない、予測もできない年。

私はこれが就職活動の年に当たった。

パワポを家で見るだけでイマイチ情報が掴めない会社説明会。

慣れないリモート面接。

緊急事態宣言下で友達にも家族にも会えない。

ひとりぼっちの部屋で不採用通知を受け止める日々。

自尊心なんてものは一瞬でなくなった。

不採用通知が送られてくる毎に、自尊心という鎧を失った心をハンマーで叩きのめされている感覚がした。

痛くて痛くて堪らなくて、どんどん自分が弱っていくのが分かった。

これでもし、第一志望に内定を貰えていたなら、こんな苦しい日々は綺麗さっぱり忘れられていたと思う。そしてズタズタの心はV字回復しただろう。

V字どころかチェックマークくらいかな。

でも、私は第一志望の会社には入れなかった。あと一歩だった。

結局、志望度5位くらいの会社に何とか内定をもらえて、そこに来年から勤めることになった。

全ての企業を受け終わって、この会社で決まりだとなった時、どうしようもなく自分を責めた。

第一志望をあと一歩で掴み損ねて、誰でも受かるようなところにしか内定を貰えなかった自分を認めたくなかった。

(内定先は自分のやりたいことができる環境なので、今はこんなこと思ってないけれど。)

自分なんて生きてる価値もないと思い詰めて、何度も死を考えた。

本当に死に方をググッた。でも実行する勇気が出なかった。

どうせみんないいところに就職してるんだろうなって勝手に思い込んで

友達にも会えなくなった。

同い年の子が多いバイト先にも行けなくなった。

毎日ベッドの上で、ボーッと一日を過ごす。

早く普通に戻らなきゃ。こんなんじゃダメだ。と思っても、どうしても前を向けない。

毎日ベッドの上で夜が来るのを待っていた。

夜の間と雨の日は、何もできない自分への罪悪感が薄れて、落ち着けた。

そんな日々を3ヶ月も過ごした。

ここから一生抜け出せないんじゃないかと本気で思っていた。

しかし、「時間が解決してくれる」というのは結構本当で、3ヶ月という時が私を少しずつ明るい世界に連れ戻してくれていた。

だんだんと仲のいい友達に会えるようになって、彼らに今までのことを話していくうちに、自分の気持ちを消化できて、少しずつ自分を受け入れられてきた。

そんな時間を過ごして、時は10月中旬。

「自分にはここが縁のある会社なんだ。ここで頑張ろう。」

自分の中で確かに、今の内定先で働く決心が付いて、両親に報告した。

悩み絶望していながらも自分の中で就職先が決まって、3ヶ月も経ってからの報告になったのは、両親が就活大成功者だから。

二人は本命一社しか受けていない。

それで内定ゲット。

就活って落ちるの??みたいなレベルの発言を平気でする。

まあ落ちてないもんね。

そんな人たちにそもそも辛い時に相談する気にもならなかった。

自分の中で結果が芳しくなかったこともあって、大成功者の両親を前にすると、落ちて落ちて今の就職先に決まった自分がどうしようも情けなく思えて、就職先の話が出来なかった。

それでも、育ててくれた両親に就職先を言わないで社会人になるのは流石に憚られたので、包み隠さずに全て話した。

「本当に行きたいところは落ちちゃったし、悔いがないとは言えない。だけど頑張り切った。納得してここで働くことに決めた。」と。

両親には、この決心を肯定して欲しかった。

しかし、母は開口一番、

「え? そんな会社聞いたことないけど、そこで本当に大丈夫なの?」

「もう本当に受けるところないの?」

と言った。

決心を否定された。

大丈夫かどうか一番心配しているのは私。

苦悩の末に決めたことをそんな風に言われたら、どう感じると思う?

そんなことも想像できないのかと唖然とした。

拭いきれない不安を必死に振り払って、たくさんの時間をかけて、葛藤して、悩んで、この会社で働こうと決心をつけた今までのことを踏みつけられた気分がした。

畳み掛けて、「何で最初に就職先を親に言わなかったんだ。」と言われた。

実は祖父と叔母には一足先に伝えていた。それをどこかで聞いたらしい。

それが気に食わなかったという訳だ。

祖父と叔母は二人とも就活で苦しんだ過去があることを昔から私に話してくれていた。

だから安心して心の内や結果を話していた。

「決まって良かったね。おめでとう。」

決心がついたことを心から祝ってくれた。

私は、

「この苦悩が分かる訳も無い人に話す気になれなかったから。」

と、正直に言った。

最初の発言を聞けばこんなこと自明だ。本当に話したくなかった。

そしたら、

「親を舐めるな!!!娘のことが分からない訳がないでしょう??」

と、泣き叫ばれた。

親を悲しませた。泣かせた。事実だけ見れば私が悪いのかもしれない。

ちょっと喧嘩を売ってしまった言い方だったし。

だけど私はこの言葉に深く傷ついた。謝る気も起きなかった。

何も分かってくれない人に、分かると言われたのが本当に嫌だった。

思い上がるなと咄嗟に怒りが湧き上がったが、通り越して親に失望した。

親にこんな感情を抱いてしまった自分に嫌気がさした。

苦虫を噛み潰したどころでは無い不快な感情が、一瞬で心の中を渦巻いた。

こんな言葉なんて、感情なんて忘れたい。気にしたく無い。

親のプライドを持っての発言だったと思えば、無理矢理腑に落とすことも出来る。

だけどどうしてもその言葉が頭から離れない。許せない。思い出す度にあの時の感情が湧き上がって、吐きそうになる。

怒りでもあり、失望でもあり、悲しみでもある。そんな気持ちが溢れ出る。

こんなに嫌な気分になるのに、何度も何度も思い返してしまう。

そんな家族との一悶着で最悪な気分になった私は、自分の部屋に戻って、イヤホンを耳に挿して曲をかけた。

嫌なことがあると、私はいつも一人で前田さんかASKAの声を聴く。

その時は何となくASKAな気分で、チャゲアスとASKAソロをシャッフルで流した。

その時偶然1曲目に、『月が近づけば少しはましだろう』が流れた。

実は、初めて聴いた時に何となく曲調が好みじゃないな、と思ってしまったのもあり、歌詞すらちゃんと把握していなかった曲だった。

チャゲアス歴が短くてまだ全然歌詞を覚えられてないもので、、、

だが一人の空間で、改めて耳を澄ませて聴いてみると、その歌詞に驚愕した。

何でこんなに人の気持ちが分かるんだ。

もしかしたらASKA自身の経験なのかもしれない。だけどそれにしても人の心への想像力が尋常じゃない。もはや完璧に分かってしまっている。

人の心なんて分からないはずなのに。

自分でも表現しきれない私の気持ちを全て言葉に変えてくれていると思うほど正確で、ぐうの音も出ない。

ASKAに「気持ち分かるよ」と言われたら多分反論しない。

しかも3ヶ月の引きこもり期間とぴったり重なる歌詞まである。

何なんだ、ASKAは。ASKAも同じ経験をしたとしか思えない。

もう一度最初から一つ一つの言葉を噛み締めて聴いた。

”壁にもたれてもう一度受け止める

小さな滝の辺りで”

自分を傷つけた言葉はさっさと忘れた方がいい。

言われたことを思い出さなきゃいい。

だけど、そんな言葉であればあるほど、人は何故か何度も思い返す。

何度も頭でその言葉を響かせては、打ちのめされる。傷を負う。

痛いのに、どうしてもまた響かせてしまう。

だからせめて、自分が傷を負い続けても耐えられるような場所で繰り返してみる。

その場所は人それぞれ違う。

ASKAはそんな空間を、”小さな滝の辺り”と表現している。

滝は人間にとって、オアシスだ。

生きる為に一番必要な水が無限に流れ出てくる場所だから。

ここに居れば、傷ついても生きられる。

一人なら小さな滝で充分だ。

一人一人違うその場所を、全て引っ括めて的確に言い表す言葉。

それが”小さな滝の辺り”なんだろう。

私だったら友達と遊ぶ直前の時間と空間だな。

思い返して吐きそうな気持ちになっても、すぐに楽しい時間が来て立て直せるから。

そういうASKAの小さな滝の辺りってどこなんだろう、なんてことまで考えてしまった。

そしてASKAはこう続ける。

”角を曲がるといつも消え失せてしまう言葉だけど

心の中では切れて仕方ない

この指の先でそっと拭き取れるはずの言葉だけど

積もり始めたら泣けて仕方ない”

さっきまで散々言ったが、嫌な言葉はやっぱり忘れてしまうのが一番だ。

それ以上傷つかないで済むから。苦しまなくていいから。

「そんな言葉気にしなくていいよ!」

「忘れた方がいいって!」

だからこんな励ましが世間には溢れているんだろう。

言葉は刹那。その瞬間を過ぎれば形も残らない。本当はとてもちっぽけなものだ。

そんなことは分かっている。だけど頭の中で何度も響く。その度に傷ついてしまう。

こんな心情を、ASKAはお得意の美しい比喩表現で代弁してくれている。その後には言葉は続かない。

周囲からの励まし通りに忘れられないし、気にしてしまう自分に何も言ってこない。

気にして傷ついていても別にいいんだ、と思えて心が軽くなった。

そして2番のサビ。

”朝の改札では大勢の人が流れていく

カーテンを引いてベッドに転がる

静かに変わる時間を閉じるように瞼を閉じる″

まさに引きこもりの3ヶ月の状況。

ボロボロになって、結果でも報われなくて、立ち直る方法さえ分からなかった私は、外の世界を遮断して、毎日ベッドの上に居た。

本当にダメ人間だなと自分でも思っていたけれど、それしかできなかった。

傷ついて、立ち直れなくて、ここまで堕ちていった自分の姿なんて誰にも見せたことないのに。

何でASKAは知ってるんだ。

ベッドから動けなくなった経験がないと絶対こんな描写書けない。

ということは同じ経験をASKAもしているのかも。

心からそう思えて、あの時の痛みが分かってくれている存在がいるんだと嬉しくなった。

そして曲名でもある最後のフレーズ。

月が近づけば少しはましだろう

私はこの言葉の後ろにクエスチョンマークがついているように聞こえた。

「月が近づけば少しはまし(だった)だろう

引きこもりの3ヶ月間、夜の間と雨の日がとても好きだった。

夜と雨の時って天気の良い日中に比べるとできることが少ないから。

天気の良い日中は、落ち込んで前を向けなくて、何にも出来ないダメな自分は、全部自分のせいになる。だからますます自分を貶して負のループに陥る。

でも、夜と雨の日は、「今は夜だから」「今日は雨だから」という理由が付いて、「じゃあ何もできないのは仕方ないか」とダメな自分を受け入れられる。

本当に、月が近づけば少しはましだった。

ASKAはそんなことまで分かってくれるんだ。

私は、この曲を聴き終えた時、自分が心の底から求めていた共感を、ASKAに貰えたと思えた。

傷ついた他者を救う一番の方法は、共感だと思う。

話を聞いて、とにかく肯定する。想像する。

何も言わずに、言葉に頷くだけでいい。

自分の悩み苦しんだ気持ちを受け入れてくれるだけ、認めてくれるだけ、ただそれだけで人は充分救われる。

でもASKAの共感は次元が違う。

『月が近づけば少しはましだろう』

この曲は、些細な言葉に傷ついて葛藤している人の気持ちを歌っている。

ただそれだけ。

否定もなければ、励ましもアドバイスもない曲。

だけど。

ASKAが類稀な想像力と表現力で、些細な言葉に傷つく人の気持ちを正確無比に描ききっている。

この精度のおかげでASKAも絶対同じ経験をしたんだろうと思わせられる。

だからASKAは気持ちが分かってくれているんだと心から感じられる。

そしてその気持ちに対してASKAは何も言わない。

歌詞の行間にそんな気持ちを全て肯定してくれているASKAが見える。

この歌詞の中のASKAは完璧に気持ちを分かってくれていて、決して何も言わずに気持ちを認めてくれている。

家族でも、友達でも、誰かに今の気持ちを肯定してもらうだけで、私は嬉しかったと思う。

なのに、心の内を全て分かってくれていると思えるASKAに、その上で気持ち全部肯定してもらったら、泣けてくるほどの安堵感に包まれた。

本当はこんな安堵感を親から貰いたかったなぁ。

私は全然強くない。本当に弱い。だからせめて自分を支えてくれる共感が欲しくなってしまう。

でも今回みたいに、私の両親は昔からなかなか共感をくれない。

ずっとどこかで求めている共感をくれる存在。

それが私にとっては、ASKAと前田さんだ。(前田さんのエピソードはまた今度。)

だから私は二人と一緒に生きているんだ。

そう改めて実感した最近のお話。

#音楽 #就活 #ASKA #月が近づけば少しはましだろう #共感

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