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素敵なおとなになりたい

老人と海と言えば、アーネスト・ヘミングウェイの有名な短編小説ですが、今日は老人と青年と言うことで思うままに書いてみたいと思います。

最近、高齢者のモラルがと言う言葉を耳にします。
今から40年ほど前であれば、50歳は老年であり、老人とか老女という表現をされていたものです、実際自分たちも若い頃は50歳というと凄くおじいさんにみえたものでした。

そして、自身がその年になって振り返ってみたとき、自分は本当にその年齢に達したのだろうかと思ってしまうのです。
もちろん、組織で部長とか、執行役員に上り詰めている人を見れば、成る程自分の年齢では同級生はあんなに社会的に出世していると感じるわけです。
だから、きっとそんなんだろうなぁと思うわけですが。
我が身を振り返ってみたとき、無冠の自分を少し恥ずかしく思ったりします。
そして、精神的には、20歳の頃と比べて進化したのかと思うわけです。

正直申し上げて、20歳の頃と比べれば、多少なりとも分別も付くようになり、それなりの常識も手に入れたようです、でも余り本質は変わっていないような気がします。
時には、馬鹿騒ぎしたりなんてことを考えれば特にです。
ただ、改めて世間を見ると、もっと子供な高齢者がいることに気づかされるわけです。

一人で2人分の座席を荷物を置いて占領したり・・・といった品位に欠けるなあと思わせる行動に出る人がいたりします。
ドア前にお地蔵さんのように立ち塞がっている人がいたりします。
年を重ねれば自動的に大人になるとか、常識を得て老成する訳ではないと改めて思うわけです。
多くの社会経験や失敗を重ねて、人は成長するし、人にも優しくなれる、そして初めて人としての品位を獲得していけるわけではないでしょうか。
そうして初めて老成したと言えるのではないでしょうか。

ただ、最近気になることは、ネットの普及で、人との交流を避けてでも生活が成り立つようになってしまったことが、人との交流が出来ない、またはそうした機会を得られないまま年を重ねる人が増えはしないかと思ってしまうのです。
時々SNS等で、友達など要らないと公言している人を見かけたりします。
冗談で言っているわけではなく、本気のようです。実査に友達0人、更に相手を攻撃することを厭わない、そんな性格の人のようでした。
こうして、世間との交流を絶ち、世間の常識とかを拒絶したまま年だけを重ねて行ったら・・・大変なモンスター老人が誕生するのではないかと思ってしまうわけです。

見かけは老人、中身は子供・・・ちょっと困りますよね。
でも、実際にそうした人が今後増えるかもしれない、「挨拶したらダメとか」「個人情報だからと言って必要な情報も開示しない」そうした自己中心的な人が中心な高齢者が増えたら・・・それこそ、AIによるロボットによる介護に頼るしかないんでしょうかね。

私は、ちょっとご免ですけどね。苦笑
将来の自分なんて判りません、ただ、目標は立てられますよね、どんな高齢者になりたいか。
多くの人に慕われる,そんな人になりたいと個人的には思うわけです。
理想は誰のお世話になることなく、人生を全うできれば理想ですけど、必ずしもそうなるとは限りませんからね。
そうなったときに、少しでも多くにお方に愛される高齢者になりたいと思うわけです。
そして、そこには自分で自分を変えて、品位を高めていくことなのかなと思っています。


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