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「たられば」と言う言い訳をする人

どんなことでもそうですが、物事が全て自分の思うように動くというのは非常に稀であり、自分ではこうしてああして・・・こうしようという構造を組み立てても、実際に動き出すと協力者がいなかったり、想定外のトラブルが発生したりして思うように進まない事の方が多いかと思います。

そこで、良く聞く言葉が「〇〇してくれたら」とか「〇〇を彼がしてくれれば」・・・と言った言葉です。
如何にも自分は正しい、でもそれを進めてくれないのは自分以外の抵抗勢力だと言わんばかりなんです。

誰でもそうですが、傷つきたくないんです。
傷つきたくないから、傷つかないための言い訳を最初に考えるんです。

そこで、会社等であれば、「彼がもっと協力してくれたら」とか、「根回しを担当者がもっとしてくれていれば・・・」とか。
そう言って自分は悪くないって言いたいんです。

でもね、申し訳ないけれどそれってリーダーとしては失格なんです。

私自身は、30歳の頃に帝国陸海軍の将校の伝記を何冊も読みました。
山本五十六・井上正美・米内光政・石原莞爾・秋山好古(秋山真之の兄)とそれこそ片っ端から読んだものでした。

その理由は何か・・・それは指揮官の生涯を知ることで、本当にリーダとして大切なものは何かということを知るためでした。

そこで自分なりに出した答えは

 決して言い訳をしない・・・言ってみれば、「たら・れば」といった言葉は使わない。
 仮に自分が不利になったとしてもそれが全体の利益になるのであれば、それを優先する。・・・「私よりも公」

この2点は大事にしていくべきであると思ったわけです。
そして、郵政局を追われた後もこの2点だけは常に大切にしてきました。

今でも時々、「たら・れば」という言い訳をする人を多く見かけます、残念ながらそれでは何時まで経っても自分自身が成長しないと思うのです。

まぁ、私自身がそうした上司に郵政局時代に直接見てきましたので余計にその反発と言うか反論が有ったのかもしれません。


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