僕は、運が良い「強運な人の話」
50年以上生きていますと何度も危ない目に合うことがあります、一番怖かったのは小学校の頃でしょうか、父親の実家で家の裏にある山に登って転げ落ちた話、約50m転落した話です。
まっすぐではなくて山の斜面を転げたので、幸いにもかすり傷だけでした。この時は咄嗟に体が丸まって転がっていったのと、幸いなことに石などに頭を打つこともなかったこと、転落中も、止まった後も意識があったこと。
これが大きかったようです。
上記のような感じの大転落?
父親と、親戚の従弟の4人で行ったのですが、その時は皆さん、ああ、「私は死んだ」と思ったそうです。
私も、正直もうダメと思いましたから。
何度か飛び跳ねて背中とか打つのですが、幸いなことに石のような固いものが無くて脊椎や頸椎を痛めることはありませんでした、途中ですこし平地になったところで自然に止まったのです。
藪の中を下って行ったので全身、すり傷だらけで、背中を多少強打したとはいえ、意識もはっきりしており。
そのまま、父親に背負ってもらって下りたあと、そのまま病院へ行ったように記憶しています。
こうして簡単に書いていますが、よくよく考えたら、すごく強運で守られているなぁと思うのです。
「もし」、と言う言葉を使って表現すればわかりやすいと思うのですが。
もし、転げ始めて木に当たっていたら・・・。加速してからだと間違いなく衝撃で、脊椎や頸椎を痛めていたかもしれません。
もし、途中に石で頭を強打していたら・・・間違いなく、上記同様の事態に
もし、途中にそうした平地が無かったら・・・さらに加速して…あとは考えるだけでも恐ろしい。
そんな風に考えると、途中に大きな石も無くて、また転落中も頭を強打することもなく、更には途中ですこし平地になったところがあってそこで止まった。
こうした幾つもの偶然がないと、今ここでこうしてblogを書いている自分はいないわけです。
だから、自分でいつも冗談半分に言っています。
「僕は、運が強いですって。」
運が強いというのは、きっと神様が守ってくれているからだと思っています。
別に変な宗教に勧誘するつもりはありませんよ。
松下幸之助は、「運が強いです」と言った人を採用したと言いますが、
「お前は、人のために生きないといけないからもう少し生かしておいてやると」
言っていただいているのです。
別に早逝する人は、そうではないと言っているわけではないですよ。
結果的にどんな状況に置かれてもその考え方だと思うのです。
ネガティブに考えればなんでもネガティブに考えるようになって、チャンスが目の前を通り過ぎて行っても無視してしまう。
逆にポジティブな人はなんでも肯定的に考えるので、どんな些細なことでもチャンスと考える、この差なのでしょうね。
さっきの話でも、山から落ちて怖い目をした。・・・だからもうコリゴリだと考えるならばどんどんネガティブになって、僕は運が悪いからこんなことになった・・・・と思うのですね。
悪いことが起こるのをネガティブに捉えるか、良いことが起こる前兆だと考えるのか・・・その差は大きいと思うのです。
だからこそ、どんな現象もまずはポジティブに捉える習慣をつけてみてはどうでしょうか。
きっと、人生が少しずつ変わり始めます。
そして、周りに言えるようになります。
「僕は運が強いのです」って。
そうなると、不思議なことに周りの人も運が良くなるのです。
逆に、そうした人も私と離れると、一気に運が悪くなります。
まぁ、それを信用すするもしないも、あなた次第ですけどね。笑
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