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写真のお話し、暗室があった頃

今日も、少し写真のお話などをしてみようと思います。
というか、昔の銀塩写真と呼ばれた頃のお話しをね。

今はデジタルカメラ全盛で、昔ながらの現像液を使って、現像したりとか。その後焼き付けてと言う暗室作業がなくなり、そろこそ、PCによるデジタル暗室で個性的な画像を作り出せるようになりました。
フィルムの時はそれこそ、シャッターを押した瞬間に時間が固定されるので、後で修正するというのはもちろん可能ですが、それは人物写真などに限られるものだという思い入れと言いますか、個人的には考えていました。

ですから、それこそ今から30年も40年も前では、ピントを手動で合わせることはもちろんですが、それ以上に厳しく言われるのが露出、適正露出というものを常に言われる。
もちろん、モノクロフィルムでしたら、多少の露出過不足は焼き付ける段階で調整が出来るのですが、理想はそうした暗室作業をしなくても見れることであり、貧弱な露出計しかなく、かつ露出補正などもない時代のカメラで、少なく経験値などを頼りに撮影して自らのノウハウというのを獲得していったものです。
今では、そうした事を行なわずとも、それこそシャッターを押すだけでカメラが撮影してくれるようになりました。
また、デジタル処理が一般的となり、写真を修正してしまえるようになりました。

そうした意味では、後でなんとかなるという範囲が増えたのかもしれませんが、撮り方が雑になったというかいい加減になったような気がするのです。
一枚一枚に真摯に向き合わなくなった。


とりあえず沢山撮影して、その中から良いのを選ぼう。
それでいて、場合のよってはトリミングして誤魔化しておこう・・・みたいな。
個人的には、どうにもそうした事は苦手というのか好きになれません。

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鹿児島駅前 鹿児島市電をリバーサルで撮影した1枚
逆光で敢えて露出不足にすることで印象的なイメージを狙った一枚


「写真」というのは、「シャッターを押した瞬間の時間を固定する」ものだと思うから、そこに、自分の思いを取り込んで行きたいと思うわけです。
めちゃくちゃアナログな考え方かもしれませんが、もっとも輝く瞬間というか、個人の感性の爆発とでも言うのでしょうか。
それが写真の醍醐味だと思うからなんですね。
高性能のカメラで連写するのも良いですが、もっとも輝く瞬間を自らイメージして、その瞬間に合わせてシャッターを切る。そのためのフレーミングとかも含めて適切に準備しておく
これが大事なんじゃないかなぁと思うわけです。


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