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射幸心について考える

射幸心・・・・この言葉を聞いたことがあるでしょうか?

あまり聞き慣れない言葉ではありますが、言い換えればガチャで良いアイテムが出るかもと課金してしまうこと・・・と言えばわかりやすいかもしれません。

射幸心と言う言葉は元々は富くじからは制した言葉のようですが、改めて辞書で調べてみたいと思います。

富くじから派生した言葉かと思いますが、初出は明治36年の新聞でしょうか。

コトバンクでは以下のように書かれています。

以下引用します。

?名? (「倖」は偶然に得るしあわせの意) 偶然の利益やしあわせを頼む心。まぐれあたりをねらう気持。
※国民新聞‐明治三六年(1903)一二月二六日「一般公衆の射倖心を挑発するのみならず」
[補注]「射幸心」は「射倖心」の書き換え。

射倖心・射幸心とは - コトバンク精選版 日本国語大辞典 - 射倖心・射幸心の用語解説 - ?名? (「倖」は偶然に得るしあわせの意) 偶然の利益やしあわせを頼む心。まぐれあたりをねらう気持。※国民新聞‐明治三六年(1903)一二月二六日「一般公衆の射倖心を挑発するのみならず」[補注]「射幸心」は「射倖心」の書き換え。リンクkotobank.jp
特にギャンブル反対とか言いながらも、この射幸心という心は誰しもが持っているわけです。
例えば、宝くじを買うのも、先ほど申し上げたように課金形ゲームにはまるのもそうでしょうし、例え課金しなくてもゲームには待ってしまうと言うのも射幸心を煽っていると言えましょう。

お恥ずかしい話ですが、私も無料ゲームとはいえその昔windowsの標準ゲームであったソリティアに最近はまってしまって。苦笑
課金しないゲームなので、金がかかると言うことはないかも知れませんが、時間をついつい浪費してしまう。
blog等を書いていて、気分転換にと思って始めるとついつい、成功したら成功したでもう一回と思うし、失敗したら失敗したで、もう一回と思うわけで結果的に先ほど申し上げたとおり時間の無駄使いになっています。苦笑

まぁ、私のように無料ゲームに射幸心を煽られて時間を浪費する人もいるわけですから、これが実際に金銭がかかっているゲームになるとどうなるか。
特にガチャというのは私はしたことがないのですが、より強くなろうと思えば、課金したアイテムで・・・ただし、どのようなアイテムが出るかは運次第となれば、強いアイテムを得るまではと何度も課金する・・・そこには、ソリティアにはまった自分でも容易に理解できるわけです。
なんだか悔しい、あと少しだったのでは・・・・そんな風に思う訳ですね。
時間を浪費するのも正直私には惜しい、その時間で新しい資料なり思索する時間を得られたのにと思うと後から反省するのですが・・・ついつい手が伸びてしまう。
そこで、最近は少しずつ操作する時間を減らしていくことで、ゲーム依存から離れようとしています。
しかし、世の中には射幸心を煽る事が多すぎるような気がします。

さて、それではどうすれば私たちはこの射幸心から自身を守れるのでしょうか。
それは、最も簡単な方法はそうした情報から遠ざけることだろうと思うわけですね。
例えば、善悪の判断が未熟な子供の場合で有れば、スマホを持たせないというのも十分な選択肢ですよね。
小学生にスマホを持たせる親もいますが、これは正直要らない。
どうしても塾通いなどで連絡手段を持ちたいと思う場合は、通信機能だけの携帯で良いと思うわけです。
こどもにスマホを持たせる必要は無い、むしろスマホを持たせることで情報リテラシー(情報を十分に活用できる能力)が未熟な子供に持たせることは百害あって一利なしなんですよね。
スマホを発明したアップル創業者のジョブスは自分の子供にiphoneを持たせなかったとか。
それは、情報リテラシーが未熟な子供に持たせることの弊害・・・射幸心を煽るサイトなどへのアクセスを懸念したからでしょう。

更に大人の場合はどうか?
大人の場合も、自覚があるか否かが一つですね。
射幸心に煽られやすくて、ついついという人の場合はやはり周囲が差あせてあげると言うことも大事だし、時には最初からフィルター機能などで使えなくするという選択肢もあるかも知れないですよね。
いずれにしても、射幸心を自身からシャットアウトすることは難しいと思うし、それ故に射幸心をいたずらに煽られないためにも自身で常に自己批判できる気持ちというか俯瞰して考える癖・・・こうしたものを付ける癖を持つ事が重要・・・そんな気がします。

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