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「一を聞いて十を知る」という諺について考えてみる

故事ことわざ辞典(http://kotowaza-allguide.com/i/ichikiitejyuushiru.html)を参照しますと
「一を聞いて十を知るとは、物事の一端を聞いただけで全体を理解するという意味で、非常に賢く理解力があることのたとえ。 」
と書かれています。
論語がその出典のようで、「孔子の弟子である子貢が、孔子の門人である顔回を褒めて「顔回は一を聞くと十を理解するが、自分は一を聞いても二を理解する程度である」と言ったという故事に基づく。のだそうです。

実際に、頭が良いと言われる人は、一つのヒントを与えられることでその本質を理解するというのかな、最も根になる部分を理解する人なのかなと、いわゆる類推力が働く人なのでしょう。

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私の周りにもやはりそうした方が多いです、非常に頭の回転が速くて私なんかとてもとても・・・・。
正直、私も色々な本を読みますがすべてのことを十分に理解しているのか…と言うと非常に怪しかったりします。
マックスウエーバーなどは本当に難解で読んでみてもなんだかすっきりしないなんてことも多々あります。

まぁ、これは私自身の脳力が足りないことを自ら証明しているようなものなのですが・・・・。

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ただ、私のような凡人であっても一を聞いて十を知ることが難しくても、「十を知って一を理解する」ことは出来る、更にこの一がマスターキーになって十を知ることだってできますし、そうしたマスターキーを手に入れることが出来れば、私のような凡人であっても一を聞いて五くらいまでは一気に知ることが出来るようになる…そう感じています。

ちょっと話がややこしいのですが、「十を知って一を理解する」と言うのは私が勝手に創造したお話ですが、要は10個の事実を知って、そこにある根底の部分いわゆる共通項と呼べるものですね。
「物事の本質」を知ることで、それ以外の多くの物事にもその共通の物差しを使って尺度を図ることが出来るということです。

逆にそうした物事の本質を図る物差し(マスターキー)が見つかれば、それこそ新しい問題などに対処するときでも、そのキーを基にある程度類推することが出来るのではないでしょうか。

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