個と集団と言うことについて考える
個と集団と言うことで個人的なお話をさせていただこうと思います。
個・・・この字は人偏と固いと言う文字から出来ていることが判ります。
いつも参考にする、 漢字漢和言語辞典というサイトを参照しますと下記のよう書かれています。
「個」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習漢字の本来の意味(成り立ち)・歴史を学習する事で理解力を高められます。子供/大人の学習教材として活用下さい。
と書かれています。
元々、固と言うのが人と城壁を表すと言うことで、それに人が関わっているとして「個」という言葉が出来たようで、敢えて個人的解釈すれば人として独立した存在と言うことをさすわけで、この存在というのは単独で存在するものと言うことになります。
特に現在は、個の時代等と呼ばれることがあります。
もちろん、個の時代は終わったという意見もありますし、確かに時代の流れとして個の時代は終焉を迎えつつあるのかも知れません。
個の時代・・・・インターネットが普及し、時代は双方向から更に進化したweb3.0への時代へと変化しつつあるとも言われています。
web3.0の時代では、さらに個の時代は進むのでしょうか・・・それとも、衰退するのでしょうか。
web3.0の話しは私もそこまで専門では無いので詳細は語れませんが、双方向のインターネットを目指したweb2.0から今度は積極的にc to cが成り立つ、そんな個が際立つ世界になるようにも見えますが。
逆に考えれば、個が自立した存在になり得るとも言える反面、巨大なプラットフォームの中に個々が組み込まれている様な気もします。
すなわち、この集団化囲い込み化が今後更に進むと言うことです。
ただ、そこに新たな進化が生まれるようにも思えます。
私自身は、ゲームと言えばクラッシックなソリティア程度しかしないのですが、多くのシューティングゲームなどでは、ネットワーク上で繋がる個人と連携してなんてことで、ゲームを進めたり、アイテムをOpenSeaと言うのでしょうか、そうしたサイトでの売買などが実際に仮想通貨を通じて行われるなど、広がりを見せているわけで、この辺が今後大きく変化していくことになるかも知れません。
そのように考えると、既にこの存在は限りなくそうしたプラットフォームの中に組み込まれている部品のように見えます。
逆に複数のプラットフォームと個人が繋がる(コネクト)することで、新たな国境とか世代間という枠を越えた集団が形成されつつあるように思えます。
その反面、そうした積極的に集団と同化していく個人はプラットフォーマー(いわゆる運営者)として、活躍できる反面、そうしたサービスを利用するだけの存在、もしくはそうしたもの自体への参加することから阻害されてしまう集団との二極化が進むようにも思えます。
そう考えると、個の存在は今後も大きくなる反面、その個が集団の上部に位置するのか、単なる利用者(いわゆるユーザー)に留まるのか更には電脳世界にすら足を踏み入れられない人となるのか。
こうした問題は内包しているように思う訳ですね。
そこで、個人的な見解というか理想を申し上げれば、個人は意図するしないに関わらず多くの巨大プラットフォームに組み込まれていく。現在でも、GAFAと呼ばれる存在にしっかりと浸かっている現状があり、今後こうしたプラットフォームは更に進化と細分化を続けていくことになるわけです。
そして、細分化した個が構成するプラットフォームは毛細血管よろしく、そうした巨大なプラットフォームに参加できない人達に対して情報を与える、もしくは参加する機会を与える・・・そんな存在であって欲しいと思うわけですね。
人間の体が、心臓を中心として多くの血管で結ばれ体の隅々まで酸素と栄養が運ばれるように、webの世界にあっても個々人がプラットフォームに参加しつつも新たなプラットフォームを個々人がさらに、電脳世界とは無縁の人達を繋いでいく事が大事なのかなぁと思ってしまうわけです。
ちょっとまとまりがなくなってしまったのですが、思うことを思うままに書かせていただいた次第です。
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