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誇れる学歴も職歴も無いからこそ頑張れる・・・・私なりの生き方

今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

やはりここ最近になって強く思うことは、もう○○歳とかんがえるより、未だ○○歳と考える方が自身にとっても精神衛生上悪くないなぁと思うわけですね。

特に、もう○○だからという言い方は、自分で限界を決めてしまうわけですよね。

だから、私も時々言いかけてしまうのですが、敢えてそうした言葉を封印するようにしています。

そして、常に新しいことにチャレンジすること。
昨日より今日、今日より明日はもっと出来るようになると信じて行動するということ。

階段の1段飛ばしなども実践していますが、正直足がいたくなることもあるし、速く駆け上れないときもあるけれど、そこで、其れは歳だからと自分で言い聞かせるのではなく、自分お体はまだまだ若い、筋肉にもう少し頑張って貰おうとわざとそんなときは更に速く駆け上ってみたりする。

足が痛い時もあるけど駈上って見る。そんなときには無茶をしています。

頭も同じ、難しいことはわからないやと、言わずに敢えて色々な難問に挑んでみる。

最近、中学生くらいの数学から今一度やってみたいなぁという衝動に駆られるのですが、其れでなくても時間がないのにどうして時間を捻出しようかと思ってちょっと躊躇しています。

その代わりと言っては何ですが、買い物などで意識して暗算をするなど、出来るだけ頭でイメージングすることを意識して行動するようにしています。

他にも、出来るだけ難しい本などを読んで自分の頭が老化することを忘れさせるというか、頭を敢えて酷使するようにしています。
人間も機械と同じで、使わないと錆び付いて動かなくなる訳で、適切な動機付けを与えながら頭を回していくのは、老化に対する一番有効な方法ではないかと考えてしまうわけです。

昔は良かったとか、昔の成果をいつも出してくるのは、其処しか誇るものが無いからです。

僕は、○○大学を出たと言って卒業後して10年以上経ってもいう人が居ましたが、正直痛々しく感じたものでした。

結局その人は其処にしか自分のプライドのバランスを保てるところしか無いんだろうなぁとなる訳ですよ。

私なんか、そうした意味では誇れる学歴も職歴もないので、今を精一杯生きて少しでも、目立とうと足掻いているわけです。

だから、昔は良かったなんて言ってる暇も無いんです。

逆に考えれば、何も誇るものが無いから今がむしゃらに頑張れるんだろうなぁと思うわけです。

これって変な考え方ですかね?

むしろ、過去の栄光にだけにすがっていると、ますます自身を前に進める力が働かなくなるような気がするわけです。

ちょっと変でしょうか?


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