他人が楽しいことを許せないやつ

最後に、一言いうやつ、いるよね。
せっかく、楽しいのに、真逆をいうやつ。
ラーメンのスープが美味しいから飲み干したら、ラーメンのスープは、一番太るよ、とか、別にそれどうでもよくないか?
気にしてるなら、ラーメンに手を出さないし、太るリスクまでとった行動、そしてその喜びに砂をかける行為はいらなくないか。

そのくせ、他人はいつも不快なことをすると、いつもいつも文句ばかりいう。

この時、繋がった。この人は、他人にいやなことをするから、嫌なことをされるとおもっているのだ。いつも文句ばかりなのだ。

この人は、不遇なこども時代を送った。両親の離婚や、放置、その時にきっと、何で自分ばかり不遇なのか、悩んだのだろう。その時に、自分のせいではない、自分のせいではない、自分が不幸なのは自分のせいではない、と、自分の心を守ったのは想像に固くない。もっとも、それはその通りだ、自分のせいではない。しかし、これを大人になってもひきづっているのはよくない。大人になっても、家庭をもっても、自分のせいではない、のはこまる。他人が自分の幸福を決めるという発想は困る。

おとなになつたら、いや、正確には自分で自分のことを決められるようになってからは、すべて自分だ。自分のせいなのだ。幸せになりたい、と思うなら、他人にたいして、幸せにしてあげるように接するべきだ。そうでないと、自分を幸せにする方法がわからないだろう。
文句を言いたくなければ、文句を言わないようにすればよい。
どうしていつも、文句をいわせられるの、ではないのだ。まわりは、どうしていつも文句ばかりいうのだろう。もっと穏やかに過ごせばいいのに、いつもあら探しばかりして、つかれないのかしら、と思っている。

妬み、嫉み、わからなくはないが、なんのための妬み、嫉みなのか?
自分もそうなりたいのか?ラッキーがほしいのか?
手にはいるように動けよ、でしかない。
妬み、嫉み、に何のプラスがある。まわりには、みえみえだし、興ざめだし。

他人の幸福や楽しみが許せないなら、どっか離れたところに一人で生活すべきだ。
幸福を願う人々には不幸を招く邪悪な存在である、

自らを幸福になりたいと思う、願うものは、身近な人に幸福になってもらうといい。脳みそは、他人と自分の違いがわからないそうだがらだ。妬み、嫉み、ネガティブなことを考えると自分がそうなってしまうそうだ。

これを読んだ人は気を付けてほしい。
まじで、毎日、なりたいようなことや、幸せなことを、願い続けて、あるいは、他人の幸福を願えば、いつのまにか、自分が幸せになれるのだ。

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