ドラえもん

ヤンサンドラえもん回を視聴。

だろめおん先生のペンネームがドラえもんのアナグラムだったのが何気に1番の衝撃かもしれない。そして、山田先生がドラって呼んでいるのは本当にドラえもんからだったのですね。

1985年生まれで、奥野さん達より少し下ではあるものの、自分も生まれた時からドラえもんのアニメは放映していて、毎年大長編アニメは放映していた。

今は無き、自由が丘武蔵野館で見ていたのを思い出す。
日中の上映時間は死ぬほど人がいてあまり好きな所で見れないので、一回で懲りてしまい、一番最後の上映を1人で観にいくのが好きだった。行き帰りだけ両親のどちらかに送ってもらって、映画館へは1人で入って観るのは、親となった今でももう少し子供が大きくなったら使おうと思っている手だ。
銀河エクスプレスは、周りの評判は良くなかったけれど、案外好きな作品だった。特に真夏の夜の夢の曲の入りは今見ても神がかっていると思う。スケルツォの冒頭から汽笛が鳴り、ワープした銀河エクスプレスが迫ってくるシーンは好きで何回も見た。

原作に親しむと、アニメ版は旧声優版でさえもバイアスがかかっている。とはいえ、作品の雰囲気としては、旧声優版は血肉となっていしまっているため、現版は違和感はどうしても拭えない。


初期体験というのは重要だと思う。
白い巨塔なども、自分は唐沢版が初期体験だったので、そのイメージ以外は違和感があった。岡田版を最初に見た後輩は割と夢中になって見ていたので、バイアスを取っ払って見る、というのは難しいのだろう。
娘も今の主題歌の星野源「ドラえもん」は夢中で歌っている。

とはいえ、ドラえもん泣き、的なプロモーションが自分には好意的には感じられなかった。
さりげない、押し付けない、わかりやすくしすぎない、自分たちで感じでほしい、というのが、F先生の作品の感動だったと思う。
そうしないと、今、視聴者は見に行かない、わからない、と考えられてしまっているということなのだろうか。

こういうことを考えるといつも同じ結論に至るのだけれど、文化というのは作り手だけじゃなくて、受け手の要素が非常に大きいと思うのである。大事なのは、大人が子供を舐めないで作品を作ることだと信じている。


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