孤独感を拭う自己重要感の重要さ
私は天涯孤独だと思って今も生きている。私が居なくなった所で誰も困らない、誰にとっても重要な人物ではない。
毎日死ぬ覚悟で生きている。
生活保護を受けるくらいなら死んだ方がマシだと思っている。
だから、遺言書を書いて、然るべきところに預けようと用意している。別に重病という訳ではない。ただ、いつ死んでもいいと腹を括った。社会には適合できないと悟った、諦めた。あと5年くらい生きられたらそれでいいと思っている。
自分の命だけは軽視しているのだ。
あれは2019年の夏だった。
同級生にばったりと会ったのだ。2~3年連絡も取り合うことがなかった同級生。
笑顔で話してくれた。その頃誰もいない私は人間関係なんてどうでもいいと思っていた。
そうしたら、その同級生が頼んでもいないのに親切にしてくれたのだ。
久しぶりに誰かに気にかけられている気分になった。その時、人と関わった事で自己重要感が増した。私みたいなもののためにそんな事してくれるんだと。
そこから、少し踏ん張れた。少し元気になった。人は誰かに気にとめてもらえるだけで、生きようと思える。欠点があるのに心配してくれる人がいると、そこにいていいような気がする。
私は誰かに気にとめてもらえる、理解してもらえることというのは、どんな抗うつ薬や抗不安薬よりも効くと体感した。
だから、私は声をかける1人目になりたいと思った。孤独をなくしたいと思った。そうすれば自殺も減るのではないかと思った。
それから自己重要感が重要なんだなと言う色んな情報が続々と集まってきた。
孤独は本当に毒だ。ろくな事を考えない。ろくな事をしない。何もかもが自暴自棄だから、喧嘩だって簡単に吹っかける。何もかもをぶち壊す。暴れる。そして、死ぬ人は死ぬ。
私は自分の命だけは軽視しているけれど、同じような思いをしている人に声をかけたいと思っている。今はその術を探っている。
私が最後の自殺者になればいいと思っている。
孤独はろくな事を考えない。
孤独に慣れないでほしい。
できれば声をあげてほしい。
身近な人の異変に、隣にいる人の異変に気づいてほしい。
遊びに誘われなくても誰かから最近どう?元気?って気にかけてもらえたら嬉しいと私は思う。
幸い私は誰にも気づかれていない幽霊のようなものだ。だから、5年くらいでいいと思っている。でも、他の人には声をかけたい。それが私の生きる意味になるかもしれない。5年以上生きたいと思えるようになるかもしれない。
気にかけてくれる人が1人でもいれば、生きていける。
気にかけてくれている誰かに感謝できる。
本当の一人ぼっちとはこんな風に考えがクルクルと変わる。それもろくな事ではない。
天涯孤独の私が見出した1つの答えだ。
それから、私は1人で生きていけるかもしれないと少し強くなれた。
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